悪魔の飽食合唱団~ロシア公演特集 1

悪魔の飽食合唱団ロシア公演 2013年7月19日~7月26日

「悪魔」がついにロシヤの地に降り立った。

神戸市役所センター合唱団 田中嘉治

♪中国人、ロシヤ人、モンゴル人、朝鮮人どれでも実験材料のリザーブをどうぞ。 

 混声合唱組曲『悪魔の飽食』全国合唱団は、これまで組曲の歌詞にも出てくる731部隊の犠牲となった「マルタ」の出生地である、中国(2回)、韓国(2回)ほか、ポーランド・チェコと海外公演を行ってきたが、去る2013年7月19日~26日にかけて初めてモスクワ・サンクトペテルブルクのロシヤ公演を成功させることができた。この公演団には森村誠一名誉団長、池辺晋一郎団長を先頭に全国から約250名の「悪魔の仲間」が集まった。

 私は、18日に現地で開かれるロシヤ公演の記者会見出席のため本隊に先駆け池辺・浅井両先生らとともに17日にモスクワ入りした。モスクワは現ロシヤ連邦、またロシヤ共和国の首都で政治・経済の中心地であるだけでなくロシヤ科学アカデミーをはじめとする各種アカデミー、研究所、モスクワ大学、チャイコフスキー音楽院、ロシヤ国立図書館、歴史博物館、プーシキン国立美術館、ボリショイ劇場、モスクワ芸術座など、教育・文化施設が集中するロシヤを代表する国際都市である。また、クレムリン宮殿、ロシヤ正教の総本山ウスペンスキー大聖堂、聖ワシーリー・ブラジェンヌイ大聖堂など歴史的建造物も多い。バスの車窓から見えるこれらの重厚な建築物とあらゆる角度から目に入ってくる「キリル文字」が、ロシヤの臨場感を一層際立たせてくれる。街中にあるジャーナリスト会館での記者会見に臨む。会見にはマスコミ関係17社が取材に集まった。持永事務局長の司会で始まった記者会見の席上、池辺先生は、曲の成り立ちから今回の海外公演が6回目となること、残酷な事を単に伝えるのではなく、旧日本軍の犯した罪に対し、反省のうえに過去を見つめ、未来を見つめ直す目をもつことの重要性を説いた。浅井先生は、自らが幼少の頃中国で過ごした時の日本軍の残虐さが今も脳裏に焼き付いている実体験を話しされた。

 私は、戦争の記録というものをどの側面から見るのかをコメント。4つのパターンがあり最も多くの文学・映画・音楽等の作品で扱われているのが、我かく戦えりといった武勇伝、「戦闘の記録」の記録であり、次に多いのが広島・長崎に代表される被爆や大空襲などの「被害の記録」があり、極めて少ないのがこの度歌う「悪魔の飽食」という「加害の記録」作品、そしてさらに少ないのが、あの戦争は間違いであると命を賭して戦った「抵抗の記録」を綴った作品である。音楽界における「悪魔の飽食」は極めて稀有な作品であり貴重な作品。ロシヤはあの大戦で世界で最も多くの犠牲者を出した国(2500~2700万人、一説には6000万)で、その地で歌うことの重要性を強調させていただいた。

 モスクワ音楽院ホールでのコンサートの司会を担当される女性は、次のようにコメントを寄せた。「世界的にも名だたるモスクワ音楽院ホールで演奏するにふさわしい作品かどうか、スコアーを作曲家のトーマス・カルガノフ氏に見せたところ、この音楽がきちっとした作品であり、大ホールで演奏するにふさわしい作品であると評価された。彼のお父様は、ホールを応援したメセナの一人だ。取材のみなさん、曲を聞いて下さい。時間を決して無駄にはしません」。

 最後に発言したユーリ・ノルシュテイン氏は、「私は日本に20回ほど訪問している。731部隊が犯した生体実験に対し、NO!と言える強い人間になることは非常に必要不可欠で大事だと痛感している。命令と引き換えに自分の命を差し出さなければならない。命令をきかなければ殺されるという状況に遭遇したとき、どうすればいいのか、命をなくしていいのかどうか実に深く考えさせられ答えが出ない。しかし、最も重要な事は、このような状況を生みださないことではないだろうか。そのようなときに国家にものが言える人間を作って行くことが大事で、そのために文化・音楽は大きな役割を果たすのです」。

 実に感動的で、理知的で今回の公演の意義を的確にノルシュテイン氏は語られた。今回の訪ロ公演で我々はロシヤを代表する世界的な巨匠二人とお会いすることができた。その一人がノルシュテイン氏であり、もう一人の巨匠がサンクトペテルブルクのカペラホールで逢った映画監督のアレクサンドル・ソクーロフ氏であったが、我々にとっては明暗を分けた存在となった。

 件の映画監督の日本に対する、いや音楽そのものに対するイメージは貧困としかいいようのない拙い演出で、それは百歩譲っても、彼が自分の意見をゴリ押しするのはあくまでもロシヤ人聴衆の立場に立ってと言い切ったにも関わらず、結果的には聴衆を無視して我を貫き通した権威を笠に着た「ひとりよがり」の姿勢に憤懣やる方がないのである。おのが映像を映し出したいがため日本から重たいプロジェクターをここまで運んできて映し出そうとした字幕に対し「ロシヤ語訳はプログラムに載せてあるから、わざわざ字幕テロップにして映す必要はない」とまで言い張り、実際に本番がはじまると映像を鮮明に見せんがため客電は落とされ場内は暗く、この状態で観客がプログラムの歌詞を見れるわけがない。

 字幕が出ればこそタイムラグがなくオンタイムで音楽が進行していきドラマを聞き(読み)とれるのである。モスクワ公演成功のエピソードのひとつに、公演団の仲間が話してくれたこと。「若者たちのグループが会場に入ってきて客席についた途端、携帯でゲームをして楽しんでいたそうだが、和太鼓が始まったらそこに集中、休憩で退出してもう帰ったかと思ったら、再び着席、またぞろゲームを始めた。『悪魔の飽食』が始まると、その場に釘づけになって曲を聞いていた。曲が終って観客全員がスタンディングオベーションとなったが、真っ先に立ったのが彼らだった」。彼らに「悪魔の飽食」の中味(歌詞)が伝わったのだ。歌詞は後からプログラムを見て分るというものでは決してない。流れる音楽と同時進行で歌詞が見れてこそ臨場感が最高潮に達するのである。モスクワ音楽院大ホール、カペラホールの観客は共に満席となり大成功したわけであるが、後者の観客のほとんどが「悪魔の飽食」の中味がよくわからないままだと推察するが、終演後の見送りでは握手やハグやサインまで求められる悪魔の団員がいて、ロシヤ人の温情には心から感謝せずにはいられない。それだけになおさら監督の「暴挙」に悔いが残るのである。監督が自主制作の作品なら、その強引さも仕方なしで、「監督」とはそういうものだと割り切れるが、今回の件は明らかに「横やり」以外のなにものでもない。モスクワの巨匠は、巨匠にふさわしい豊かな思想と創造力を私たちに提供して励ましてくださった。サンクトペテルブルクの巨匠は、無知と無能ぶりを私たちに強引に押し付けて失望させていただいた、まさしく虚匠であった。

 「悪魔の飽食」の国内外の旅は、「悪魔の仲間」をさらに増殖(?)させながら、これからも続いて行くだろう。その前進の原動力は「世界の平和と人間の尊厳を踏みにじろうとする社会」へのアンチテーゼであり、その進む道のりにいつも明りを燈して下さるのが、森村誠一・池辺晋一郎両先生である。いま、その隊列に浅井敬壹先生も加わっていただき一騎当千の力を得た思いである。長崎から、秋田そしてその後の未知との遭遇にむけてのあゆみを確かなものにする、これらの先生方こそ真の巨匠であり、その言動は「日本の希望と良心」である。隊列に旗幟鮮明にたなびく「悪魔」の旗印のもと、私たちもその隊列の一員としてこれからも巨匠と共に前進したいと思う。今公演は多くのロシヤ人に感動していただいただけでなく、その錦の御旗を掲げ続けるものたちの団結と絆をもさらに強め、交流しあうことのできた、ロシヤだけに心「露(あらわ)」にできたツアーであった。

 

 

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第一次ロシア公演のオープニング
モスクワのホテル「ベストウェスタン・ベガ」にて

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赤の広場

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無名戦士の墓

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