森村誠一の小説道場

「作家になるための絶対的な傾向と対策はないが、作家志望者はいつの日か、我が作品世界に多数の読者を招きたいという野望と、自分の才能に対する自信と不安を持っている。自分の才能を認めてくれない世間は馬鹿だという壮大な自信と共に、もしかしたら自分はとんでもない勘ちがいをしているのではないかという 不安が同居している。カルチャースクールや小説教室に通うのも、自分の不安をなだめるためである。また同好の士と切磋琢磨することによって、たがいにインスパイアし合う。小説を書くのはだれの力も借りない自分独りの作業であるが、外部(他人の作品や同好の士など)から刺激やヒントやパワーを受けることが大いにある」

作家生活40年を超えても作品を発表し続ける森村誠一が送る作家志望者へのエッセイをご覧下さい。


~作家は、前作家、元作家とは言われないように、書くことをやめた瞬間から、本質的には作家ではなくなります。書くことを止めた作家が作家と呼ばれていても、それは作家の”余韻”です。


~ミステリーの読者には直感的に犯人を当てようとする悪い癖がある。ミステリーの読者は他の文芸ジャンルと異なって、極めて挑戦的であり、意地が悪い。古 今東西のミステリーに通じた鬼の読者が犇(ひしめ)いている。ミステリーを志すからには、このような海千山千の読者と渡り合う覚悟が必要である。


~小説を書くための鉄則はない。だれがなにをどのように書こうと自由である。私が各社の間を、原稿を持ち歩いていたころ、ある社の編集長から、きみは小説 の書き方を知らない。小説作法のA、B、Cから勉強し直せと言われて、反発をおぼえたことがあった。だが、後になって小説の鉄則はないものの、それをおぼえた方が有効である技術はあることを学んだ。小説の鉄則がないということは、鉄則がないという鉄則もないということになる。


~変色した原稿用紙から夜間青白い光が発するのではないかとおもった。傑作か、トイレットペーパーにも使えぬ反故(ほご)紙かわからぬながらも、その原稿に怨念がこもっていることは確かであった。


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