第四歌集「愛と死の歌」 – 第三回

37、君に逢う薔薇の香水ふりかけてアフロディーテに私はなるの
38、一杯のオレンジジュース母に乞ういまはそれすらできぬ身なのです
39、ひとけない路地にたたずみ風吹けば夕闇迫る あのひとはどこ?
40、死神がくちづけをする死の床で「ワルツを踊ろう」そうささやいて
41、枯れかけて死の匂いする花あってそれに自ら重ね合わせる
42、秋の日の野を渡る風萩ゆらし黒髪ゆらしほおに触れくる
43、秋風は鳴き初める日を鈴虫にそっと教えて空へ帰るよ
44、秋深くなるごと悪くなってゆく病魔よ私は野の露になる
45、水色の空の雫が野辺に落つオオイヌフグリぽつりと開く
45、わたくしの主治医は余命を教えてはくれないのですイヌタデが咲く
46、薄紅のミヤコワスレは無防備にただむぼうびに雨にうたるる
47、薄幸の乙女の抱いたひな菊よ一輪のこらず幸福になれ
48、広大な宇宙の中を彷徨(さまよ)って出逢うべくして出会ったふたり
49、運命の巡り合わせの不思議さよたった一人のひとと想えば
50、今朝咲いた野菊を摘むは一期一会二人の出逢いについても同じ
51、肉体的な苦しみと精神的な苦しみとどちらがつらいかもうわからない
52、あのひとの口づけからはほのかなる花の香りが立ちのぼるよう
53、夜は更けて着物の袖に降り積もる秋の気配は悲しみの色
54、夕映えはいま夕闇に呑み込まれ私を包む絹擦れの音
55、あの橋のたもとにきっとあの方が佇んでいるせせらぎの声
56、夢のようあああの方が黄昏に手をさしのべる私のほうへ
57、わたくしを染めてください黄昏のただ消えてゆく日の光へと
58、この流れ私を映すたもとには光は二度と差さないのです
59、叫んでも届かないのかこの河の流れが全てさえぎってゆく
60、花が散る私の胸に恋が散る川の流れに身を投げましょう
61、月光がほのかに香る夜の川辺指をつないで歩いてみたい
62、わたくしを最期に連れて行ってください生まれ故郷の美しい里
63、水面には白い花びらひらひらと落ちてゆきますこの夕暮れに
64、夕映えの匂いと川のせせらぎとあなたが見える死の病床で
65、恋人と水辺を歩む足音が死が近づいてくる音に聴こえる
66、わたくしの着物のたもとに夕暮れは死を呼び寄せる魂の唄
67、帰りたい あなたと二人の故郷へ笹舟つくり水面に流す
68、死をかけた愛は夕闇そのすべて包んでしまう夜桜までも
69、ねえあなた少女の頃に帰りたいそしてあなたと巡り合いたい
70、死が迫る床については鈴虫の音を聴くのです運命かさね
71、あと幾日生きられるのかこの町は静かに静かに息づいてゆく
72、首筋をなぞるあなたの指先よ萩の花には露ともりゆく
73、一つずつ灯りが消えてゆくのです命のほむらきえるがごとく
74、紫陽花(あじさい)の花の微妙な色彩を伝える言葉を神よください
75、秋の風わたしのこころ散らす風どうかこのまま死なせてください
76、オレンジの色づく前の青い実をどうか神様護ってください
77、モクセイの香り一色染まる中死をも闇をも忘れ手を取る
78、目の前がかすんでゆくわ白い雪わたしの命もこのゆきのよう
79、わたくしは蛍の妖精この川で生まれ故郷で死んでゆきます
80、死とまがう暗闇よりも怖いのはあなたの愛を失うことです
81、死の床で君を想って詠(うた)います神様ほんのわずかな余命を
82、藍染のしぼりに真赤な帯しめて夕焼けを見る指をつないで
83、ぬくもりはどんな闇にも消されないあなたといれば怖くはないの

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従軍看護婦のために辞世の短歌未発表作品


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