勇者の証明

昭和20年、戦時下断末魔の日本。凄まじいいじめ、自由を奪われた4人の少年は、お化け屋敷と称ばれる洋館を探検中、ドイツ人の瀕死の母親から娘ザビーネを長崎まで送り届けてと遺言される。およそ不可能な遺託に応えて4人は理不尽な時代に反抗勇気を証明するために少女をエスコート。広島を通過、長崎を躱し、千キロ以上の難旅を越え、使命達成後、4人への愚弄に復讐を遂げる。輝く壮大な青春記。

【著者解説 2002/8/20】

少年時代にはだれにもある想い出がある。だが、映画とちがって、実際の少年期にはよい想い出もあれば、悪い想い出もある。それが歳月に烟(けむ)って、すべてセピア色に見える。私の小学校時代、町外れにお化け屋敷と呼ばれる外国人母娘(おやこ)が住んでいたふるい屋敷があった。戦争の勃発と共に、母娘の消息は絶えた。

中学(いまの高校)時代、夜行軍と称して、郷里の埼玉県熊谷市から秩父の名勝・長瀞まで約30キロ歩いた。午後八時ごろ校門を出発して早朝目的地に到着する。戦時中で食べ物が払底している中、母親が苦労して作ったイモマンジュウやとうもろこしのパンなどを持って夜を徹して歩く。途中、波久礼(はぐれ)と呼ばれる峡谷の辺りで夜が明ける。

午前二時ごろに猛烈に眠くなる時間帯を、友人たちと肩を組んで歩きながら通り越すと元気になる。途中、道からそれて肥だめに落ちた友人もいた。その夜行軍には昼の遠足にはない冒険的な要素もあり、昼とはちがった風景が沿道に展開して、少年たちはとても楽しみにしていた。

波久礼でみた夜明けの荘厳な光景は、いまでも私の目に焼きついている。この夜行軍はかなりハードではあったが、師弟を密着させ、未知の体験に富んでいて、 情操教育としてもまことに優れた企画であった。この夜行軍に外国人母娘の運命を重ねて、私の「スタンド・バイ・ミー」、少年時代の構想が生まれた。

*光文社
1998.1

光文社文庫
2001.9

徳間文庫
2006.1

集英社文庫
2015.4

*は新書サイズ、()内は別題名、複数作品収録の場合ならびに長編選集は〈 〉に内容を示した。◇は再編集本など。

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