凶水系

【著者解説 2002/8/27】

奥秩父の山地から発した荒川は、私の郷里、熊谷市近くへ達すると川原が広がり、大河の趣きを呈する。私は夏は毎日、荒川へ泳ぎに行った。当時、魚や蟹や、 さまざまな水中生物もいて、プールよりも抜群に面白い。橋梁の上から飛び下りたり、台風の後、濁った川水の下で潜水艦ごっこをしたり、浚渫船を海賊船に見 立てて海賊ごっこをしたり、親が知ったらぞっとするような遊びをした。中でもスリル満点なのが、潜水艦になった者を、駆逐艦役が岸辺から爆雷に見立てた石を、見当をつけた水面に投げ込むゲームである。だが、決して命中したことはなかった。私は潜水が得意だったので、常に潜水艦役であった。

川遊びに疲れると、岸の近くの水に浸かって休む。水は温泉のように温まっていて、冷えた身体に快い。そんな温泉に浸りながら、私は陽炎に揺れる地平線のかなたに私の未来を描いた。また上流からはさまざまな物体が漂流して来た。時にはグロテスクな動物の死体が流れて来た。川では名前も住所も知らない他校の少年たちとも仲良くなった、町中では仲の悪い他校の少年グループも、川は休戦地帯となって、一緒に遊んだ。後日、私が大阪のホテルに就職したとき、市中ですれちがった人から声をかけられた。顔に薄い記憶があった。だが、名前を知らない。先方も私の名前を知らないようであ る。

「よく荒川でお会いしました」その言葉に、彼が荒川でよく一緒に泳いだ他校の少年であったことをおもいだした。私たちは束の間、少年時代に戻って、郷里の川の想い出話を交わした。川は少年時代にとって欠かせぬ遊び場であり、社交場であった。少年期、荒川での体験がこの作品を産んだ。

実業之日本社
1977.6
角川文庫
1977.9
新潮文庫
1983.1
*コスミック
インターナショナル
1994.4
青樹社文庫
1995.8
廣済堂文庫
1998.1
徳間書店
2007.1

*は新書サイズ、()内は別題名、複数作品収録の場合ならびに長編選集は〈 〉に内容を示した。◇は再編集本など。

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