【著者解説 2002/8/1】
全作品約300点中、これほど物議を醸した作品はない。関東軍第731部隊の戦争犯罪を告発したこの作品は、元隊員から提供された写真の中にインチキ写真が混入されていた。これを見分けることができず、グラビア写真に誤用したことから、マスコミに袋叩きにされ、右筋からも攻撃を受けた。
抗議電話は鳴りつづけ、夜中、窓に投石された。仕事場のドアに赤ペンキをぶちまけられ、連日、抗議の手紙や脅迫状が配達された。右翼の街宣車が押しかけて来た。私は外出時、防弾チョッキを着た。神奈川県警が常に護衛してくれて、県外にはなるべく出ないようにと警告された。
一時、絶版されたが、後に角川書店から復刊された。このとき、角川書店では、まず角川社長の身辺警護対策を講じたという。
この騒動だけに限られず、『悪魔の飽食』は内外、各方面に影響を及ぼした。海外、中、台、韓、旧ソ、米、英、仏、蘭、東南ア諸国などからも多数のマスコミ、ジャーナリストが取材に訪れ、私とコーワーカーの下里正樹氏はホテルニューオータニのスィートを借りて、連日インタビューに応じた。また教科書裁判では、証人として出廷した。俳優座で演じられ、中国ではこれをベースにして映画化された。
さらに、池辺晋一郎氏がこの作品をテーマに、混声合唱組曲「悪魔の飽食」を作曲し、「悪魔の飽食を歌う合唱団」によって全国縦断コンサート、および第2次中国公演が進行中である。いまでも私の許に内外からの取材者が訪れる。作家は作品を完成すると、次作に取りかかるために、前作を忘れようとするものであるが、この作品だけはいつまでも私をとらえて離さない。
*光文社 1981.11 |
角川文庫 (新版悪魔の飽食) 1983.6 |
中国語版 1983.8 |
出版社不明 1983 |
*は新書サイズ、()内は別題名、複数作品収録の場合ならびに長編選集は〈 〉に内容を示した。◇は再編集本など。