深海の迷路

【著者解説 2002/10/4】

行きつけの蕎麦屋に猫がいた。獏(バク)という名前で、アメリカンショートヘアに似た可愛い猫であった。店の看板猫で、客のアイドルになっていた。その猫がさらわれた。たまたま目撃者がいて、獏をさらって行った車のナンバーをおぼえていた。私はそのナンバーを手がかりに陸運事務所から車のオーナーを手繰り、当日、その車を運転していた人を突き止めた。その人に電話をすると、獏を連れ去った事実を認めて、返しに来ることを約束した。ただ、飼い主に顔を合わせにくいので、車に乗せて返しに行くから、車が通行する時間帯、その近くで待っていてくれと言った。

相手が指定した時間帯、指定地域で待っていると、獏が姿を現わした。大切にされていたと見えてよく肥り、元気であった。私は飼い主に、猫はいったんよその土地へ行くと、放浪癖がつくから、当分の間、注意していた方がよいと忠告した。私の忠告は当たって、獏はふたたび家出してしまった。その後、飼い主の家からはるか離れた場所で姿を見かけたという人もいたが、ついに帰って来なかった。その後、行きつけの蕎麦屋では新たな猫を飼わない。

この猫誘拐事件から、ヒントを得て書き下ろしたのがこの作品である。蕎麦屋と猫、レコード店と犬、喫茶店と熱帯魚、風鈴屋と金魚、郵便局と鳩、質屋と狸などはよく似合いそうであるが、看板動物となったのは犬と狸くらいであろう。

角川文庫
1989.1
講談社文庫
2005.4

*は新書サイズ、()内は別題名、複数作品収録の場合ならびに長編選集は〈 〉に内容を示した。◇は再編集本など。

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