【著者解説 2002/8/16】
作品執筆時にまつわる編集者の想い出は多い。「婦人公論」から女性向きサスペンスロマンの注文が来た。これまで社会派の硬派の作品を書いてきた私に、初めて女性のオピニオンリーダー的雑誌から執筆依頼に緊張した。女性誌らしく、どんな担当者が現われるかとおもいきや、『三国志』の関羽のような髭を生やしたむくつけき男の編集者が現われた。彼が業界で有名な田中秀直氏であった。
そして1年、田中氏との悪戦苦闘が始まった。締め切り日になると、夕刻、田中氏は私の許へ現われて、原稿を点検する。NGが次々に出されて、その場で書き 直しをさせられる。田中氏の指摘はいちいちもっともで、悔しくおもいながらも、手を入れざるを得ない。その間、田中氏はボトルを手許から離さない。ようやく未明、オーケーが出て、同じ時期に同誌に連載していた井上ひさし氏の家へ向かう。この間、約ボトル2/3を空けている。井上氏の家でも飲みつづけたとい う。
田中氏は担当作家の作品は小説だけではなく、エッセイの隅々にまで目を通し、その他受賞作、問題作、新人・ベテランを問わず、驚くほど広範に目配りしていた。当時、田中氏はデビューしたばかりの赤川次郎氏に目をつけていた。「井上ひさし氏は天才だが、あんたは努力家だ」などとずけずけ言った。田中氏と2人で、取材と称して山陰地方へ会社持ちの漫遊旅行をした想い出は、いまでも忘れられない。
最後の原稿を渡して、田中氏が乗ったタクシーのテールランプが闇の奥へ遠ざかって行くのを見送ったとき、私はふと、目の奥が潤んだ。小説と酒と馬を愛し、競馬場からの帰途、亡くなったということを風の便りに聞いた。
中央公論社 1974.3 |
中央文庫 1976.5 |
角川文庫 1977.1 |
集英社文庫 1993.9 |
*青樹社 1994.6 |
ハルキ文庫 1998.1 |
*は新書サイズ、()内は別題名、複数作品収録の場合ならびに長編選集は〈 〉に内容を示した。◇は再編集本など。