本来、狩りは獲物が豊富な猟場で行なうのが普通である。生物がほとんど生息しない凍土で狩りをする者はいない。だが、私には、多彩なイルミネーションにき らめく大都会の夜景が時にツンドラに見えることがある。社会的動物である人間が寄り集まり、それぞれの能力を合成して、より合理的に便利な生活を目指し、あるいは外敵の侵攻に備えてつくられたのが都市であるが、あまりに大勢の人間が集まりすぎて、相互不信に陥ってしまった。
人は未知の人間を敵性と見なす習性がある。大都会ではすべての人間を敵と見なした方が我が身を守れる。そのような人間たちの集合が、心が冷えた凍土に見えるのであろうか。それでも人々は都会に集まって来る。彼らはこの都会でなにを狩ろうとしているのであろうか。
この一見矛盾したタイトルに、現代人の相互不信を象徴したつもりであったが、この凍土こそ、人間が生息する都会であるとすれば、人間はなんのために都会を築き、社会を発展させてきたのか。人間の限りなき利便性への追求が諸公害を生み、核兵器を発明し、地球そのものすら損傷できるような破壊力を手に入れても、いまや人間は決してハイテク、電子機器どころか、車や電気のない生活にすら戻ることはできない。動物や植物が決して犯さない誤りを人間は積み重ねながら、地球を凍土化し、狩りをつづけていくのである。
*光文社 1991.3 |
光文社文庫 1994.4 |
角川文庫 2003.7 |
*は新書サイズ、()内は別題名、複数作品収録の場合ならびに長編選集は〈 〉に内容を示した。◇は再編集本など。