正義の証明

犯罪や、不法行為や、交通事故等における被害者に対する法の救済は、常に充分ではない。むしろ、法律は犯人、加害者の側に立っている。故意、あるいは過失や事故等によって傷つけられ、死に至らしめられても、刑事裁判の手続きは被害者とはまったく無関係に、警察と検察によって行なわれる。被害者が直接、容疑者や加害者を起訴することはできない。捜査の結果、起訴され、裁判が始まっても、被害者は蚊帳の外に置かれている。裁判の結果、犯人が有罪と確定しても、被害者やその遺族にとって、人を殺傷した犯人の刑罰はあまりにも軽すぎる。犯人や加害者に対して寛大な法律を、だれが正義の基準として定めたのか。

正義の基準を神においても、唯一絶対の神はない。鰯の頭も信心からと言うように、信ずる神も、民族、国家、思想、教育、政治形態、経済などの違いによって異なってくる。社会的正義の最大公約数が法であるが、その正義の基準も確定していない。戦争が勃発すれば、交戦国双方が自国の正義を主張する。法の裁きに納得できない被害者は、ついに立ち上がって私刑を執行した。私刑や自力救済は法で禁止されているが、その法の基礎とも言うべき正義の基準が揺れていれば、被害者は法の裁きに素直に従えなくなる。

この作品では、肉親の命を奪われた被害者の遺族が、法の網を潜ってなんの処罰も受けない加害者に対して敢然と私刑を執行する。個人的な私刑だけではな く、法の救済を受けない被害者や、被害者の遺族たちのために、私刑の執行をつづける。これを追う捜査員たちも、愛する肉親を凶悪な犯罪によって失っている。人間として、被害者の私刑に共感をおぼえながらも、刑事として私刑人を追及しなければならない心の葛藤。私刑人と捜査員の行きづまる攻防の中に、法の限界と、正義の基準を追求した。正義は実現しなければ意味がない。私刑人が遂行した私刑の結果、得たものはなにか。

幻冬舎
2004.11

幻冬舎
2004.11

*幻冬舎
2006.5

*幻冬舎
2006.5

幻冬舎文庫
2008.4

幻冬舎文庫
2008.4

*は新書サイズ、()内は別題名、複数作品収録の場合ならびに長編選集は〈 〉に内容を示した。◇は再編集本など。

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