盟友笹沢左保氏を追悼して

 笹沢左保氏は三十年来の盟友である。先に逝った山村正夫氏から紹介されて我々三人組は水魚の交わりを結んでいた。笹沢氏とはイデオロギーも性格も全く異なりながら心に深く共鳴するものがあった。ここに笹沢氏に逝かれて一人取り残されたおもいが強い。

 笹沢左保氏こそまさに最後の流行作家であった。流行作家とは、競い合う文芸誌のすべてに主柱となる作品を掲載し、超人的な量産に耐え、その作者の存在そのものが話題となるようなエピソードに富み、文壇の求心力と起動力となる作家である。常時月産千枚以上、『招かれざる客』『人喰い』などの本格推理小説からスタートして『岬』シリーズ、『木枯らし紋次郎』、『宮本武蔵』など推理、社会、時代小説の名作を約三百八十冊世に送り出し、その多彩な作風と質量は他の追随を許さなかった。眠らぬために立ったまま書いたというエピソードや数々の華やかな艶聞(えんぶん)など既に伝説化しており、折から文芸誌の黄金時代と同調(シンクロナイズ)して、新人の台頭を許さぬ活躍を続けた流行作家の見本のような作家であった。

 私が笹沢氏に初めて会ったのはホテルマン時代で笹沢氏は文壇の寵児(ちょうじ)として全文芸誌を独走しているときであった。特に『人喰い』を読んで強い衝撃を受けていた私は、全身からオーラを発しているような笹沢氏を見て、自分も作家になりたいという強烈な刺激を受けた。笹沢氏は私にその作品と存在自体から強い刺激を与えてくれた兄貴分であった。

 私は笹沢氏を五つの魔性と共生した作家であるとおもっている。第一は文魔、この魔性が三百八十冊もの作品を世に送り出す原動力となった。第二は酒魔、酒なくして笹沢氏を語ることは出来ない。第三は女魔、女の魔性から吸収した女の性(さが)ともいうべきエッセンスが笹沢氏の作風に得もいわれぬ艶(つや)を出している。

 第四に病魔、笹沢氏は死因となった病気以外にも多くの病気を抱えていた。だがこれらの病気を飼い馴(な)らし作品を書き続けてきたのである。笹沢氏はついに病魔に倒れるまでヤクザとの決闘や人妻との心中未遂、また瀕死(ひんし)の交通事故など何度も生死の境をくぐり抜けてきた。彼の作風を貫く深い虚無感の底には常に死を見つめていた病影があったようにおもう。そして『木枯らし紋次郎』に結実した放浪の渡世人、安住を嫌ったさすらい人の魔性こそ笹沢左保その人であった。

 病院に亡くなる数日前見舞ったとき笹沢氏は「恥ずかしい」と言った。だがその眼光は鋭く精悍(せいかん)にしてまさに作家の顔をしていた。四百冊達成直前にして力尽きたのが「恥ずかしい」という意味に聞こえた。あと二年生きれば四百冊を達成したにちがいない。笹沢氏はどんな作品を積み残したのか。せめて一冊でも多く積み重ねたかったであろう氏の無念さをおもうとき、偉大な業蹟(ぎょうせき)の前に取り残された自分が恥ずかしくおもえる。

10/23朝日新聞朝刊文化面より転載


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