憲法の危機(早稲田大学新聞2013.5.14)

戦前、特に戦時中、日本に自由というものは、東京の自由が丘という地名以外にはないという時代であった。

一億 き国民は軍国主義に統一され、思想、表現、集会、宗教、学問、さらには旅行、結婚、恋愛、職業の選択、移動、プライバシー、読書、音楽、その他の芸術、芸能などに至るまで、基本的人権、および人間的自由の(ことごと)くを圧殺、あるいは規制されていた。

自由の圧殺の代わりに幅を利かせたのは、軍人、軍属、およそ軍に関わる者、軍需産業などである。「聖戦」という大義名分のもとに、「八紘一宇(はっこういちう(日 本を中心にして世界を一つの国にする)」、「国民精神総動員」、「挙国一致」などの戦時標語が国策スローガンとして国民に強制され、戦局が厳しくなるにつ れて、「進め一億火の玉だ」、「撃ちてし止まん」、「欲しがりません勝つまでは」から、ついには「欲しがりません勝つ後も」となり、「贅沢は敵だ」という 標語のもとに、パーマネントをかけたり、振り袖を着た女性は、大日本婦人会などの女性自らの手によって、髪や袖を切られた。

「撃ちてし止まん」の表紙掲載を拒否した中央公論と改造は廃刊に追いつめられ、編集者および関係者は、投獄され、凄まじい拷問にかけられて四名が獄中死した。

戦死した息子に下賜された金鵄勲章(武功抜群の軍人にあたえる)を「そんなものをもらっても少しも嬉しくないたい」と言った老父は不敬罪に処せられた。

映画は敵国の文化であるから見るべきではないとか、例えばポパイがホウレン草を食べる広告看板は、敵国の広告であるから撤去せよなどと、当時の帝大(現東大)の教授や、識者が大真面目で唱えた時代である。

新旧憲法においても、女性は美しくあるべきであるという基本的権利を制定していない。そんなことは規定するまでもない、女性当然の権利であるからである。

そのような基本的権利すら、女性自らの手で圧殺した。物資払底の折から、振り袖を切る馬鹿さ加減はだれにでもわかるが、戦争という人類の天敵のもとに、人間としての自由を悉く奪われてこれを当たり前と受け取るマインドコントロールされていた。

戦争は人命を殺傷し、文化や国土を破壊するだけではなく、人間の精神を荒廃させる。

軍人は戦争がなければ、無用の長物として社会の尊敬を得られない。戦力はそのまま権力に移行しやすく、軍は権力の維持(メンテナンス)のために、戦時でなくても常に敵国を想定して緊張を高める。

このようにして、八紘一宇の世界制覇の野望の実行は、人類初の核兵器の洗礼を浴び、三百万の犠牲を払って「永久に戦争を放棄し、戦力および交戦権を否認する」世界初の平和憲法を得たのである。

特に世界でも真っ先に戦争を放棄した9条は、全世界に誇るべきものであり、精神の世界遺産があれば、最も先に登録されるべき日本一国に限られない地球の住人の理念である。

敗戦後七十年に満たずして、人類の天敵、戦争を永久に放棄したはずの憲法が、次々に首をすげ替えられる政治家によって、いとも簡単に改定、あるいは廃棄されようとしている。

特に九六条を国会議員の二分の一以上の賛成をもって改定できるようになれば、永遠を誓ったはずの憲法が、一代の与党の恣意によって、たやすく変えられることになる。

国会の発議の後に国民投票があるといわれるが、国民投票には最小限の必要投票数が決められていない。場合によっては、ごく少数の国民投票によって、発議した与党のおもわく通りに改定されてしまうのである。

改憲の論拠は交戦権の否認にあるが、今日、一国の独善は世界が許さない。全く異なる戦争の構造を、憲法の改定に利用しようとしているのである。

改 憲の論拠として、さらに現行憲法はアメリカの押しつけであり、改憲によって初めて日本本来の憲法を取り戻すというが、明治旧憲法から日本国憲法制定に当 たって、日本政府は、松本烝治国務相による改正試案をつくったが、これが明治憲法の焼き直しであり、日本が受諾した国際世論を反映したポツダム宣言の趣旨 と相反する非民主的な改悪であった。

そこで、日本民主化の基本理念に基づきつくったGHQ草案を日本国会で論議し、修正し、これが日本政府 原案となり、一九四六年八月二十四日の衆議院で賛成四百二十一、反対四で可決。同年十月六日、貴族院で修正可決。翌七日、衆院で右の修正案を五名の反対の みで可決されたのである。押しつけられたわけでは決してない。

そもそも民主主義は、思想の自由を許し、民主主義に反対する思想を許す。だが、反対思想は排他的であり、思想の自由を決して許さない。

貴重な犠牲を払い、大量の血を流して獲得した民主主義が反対思想に奪われてしまえば、これを取り戻すために、再び高価な犠牲と長大な時間を支払わなければならない。

民主主義はまことに脆い政治形態であり、反対思想に対してどんなに警戒、慎重に対処しても、過ぎることはない。どんな民主主義国家でも、いったん戦争が始まれば、基本的人権は圧迫、規制される。

これまで自衛官に一人の戦死者も出していない。憲法によって自衛隊が守られ、その自衛隊によって国が守られているのである。

憲法九条が失われれば、敵性国の侵略を受ける前に強権が発動され、国民の基本的人権が奪われ、人間的自由を奪われてしまうことは、すでに経験ずみである。

戦争を体験しないいずれ交代する政治家が憲法、特に九条をいじくることは非常に浅慮であり、危険である。

仮 に戦争が勃発したとしても、憲法をいじくり、改定した政治家は決して最前線には行かない。九条の改定、あるいは廃棄により徴兵制が布かれる。かつての日本 軍のように、特別少年兵制度により、十四、五歳の少年、そして十九歳の学徒までが戦場に引きずり出された事実を忘れてはならない。

因みに昭和二十年(一九四五)終戦時の平均寿命は、男二十三・九歳、女三十七・五歳とされる。戦争という大量死刑台に乗せられた日本人の寿命である

どんな理屈をつけようと、十四、五歳の少年を最前線に引っぱり出した者は、敵国ではなく、戦場に行かないその場限りのの権力を握った政治家や、戦争指導者であったのである。

憲法は戦争の番人であり、当時とは時代がちがうというのであれば、戦争の構造変化を見つめ直すべきである。

民 主主義国家においても、アメリカ元大統領一人の判断によってイラク戦争は始まった。この戦争で米、イラク関係諸国の多数の人命が失われた。元大統領が宣戦 しなければ死なずにすんだ命である。もし日本の憲法九条がアメリカにあれば、いかに大統領といえども、一人の判断で戦争は始められない。

日本、ひいては世界の守り神である憲法九条を改めようとする前に、政治家は自分の首がどのくらいつづくかを計るべきであろう。

(早稲田大学新聞2013.5.14)

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