回想~悪魔の飽食~卑怯な匿名

「国賊の証明」

『人間の証明』で得た資金を気前よく使って、三百万部を超える『悪魔の飽食』が生まれた。だが、続編のグラビア写真に、無関係な写真を誤用したために、グラビアが偽物であるから内容もインチキであろうと叩かれた。

『人間の証明』の後、証明シリーズ、十字架シリーズを経由し、一九八〇年代に入って「赤旗」に原発をテーマにした『死の器』を連載した。連載中、まだ当時は歴史の闇のヴェールに包まれていた細菌戦部隊関東軍第七三一部隊について触れた。

同部隊の生存者の一人から、「『死の器』に書かれている七三一部隊の実態は、あんなものではありません。もし実態を知りたければ取材に協力する」という連絡があった。最初に接触した元隊員の協力をきっかけに、世界的戦争犯罪アウシュビッツに匹敵する七三一部隊の恐るべき実態が次第に浮かび上がってきた。

当時「赤旗」の記者であった下里正樹氏の協力を得て、取材網を同部隊の本部があったハルビンまで拡げた。終戦に際して、七三一部隊が秘匿研究開発した生物兵器が当時のソ連に渡ることを恐れた米国は、七三一部隊の部隊長以下幹部をお咎めなしとして生物兵器を独占した。

『人間の証明』による収入を転用して、私は取材網を中国の長春(旧新京)、瀋陽(旧奉天)、北京および米国まで拡大した。こうして『悪魔の飽食』は発行部数三百万部に達した。

だが、元隊員から提供された第二部に使用した写真の中に、七三一部隊とは関係ない明治四十三(一九一〇)年から翌年にかけて中国東北部に流行したペストの惨状の写真が混入されていた。提供者は本物の資料と混ぜて提供したので、真贋見分けられなかったのである。

その後が凄まじかった。これまでなにも言わなかった右筋の街宣車の大行列が我が家の前に連日群集した。お経を唱え、最大ボリュームの拡声器で国賊、売国奴、非国民、日本から出て行け、と怒鳴り続けた。

「悪魔の詩化」

電話は鳴りっぱなし、窓に投石され、玄関ドアに赤ペンキがぶちまけられた。地元の警察が朝九時から夕方五時までは警護してくれた。またご近所衆が総力を挙げて支援してくれた。抗議文や脅迫状は毎日、山のように配達され、メールボックスからはみ出した。右筋の団体は差出人名を明示したが、おおかたの脅迫状や抗議文は匿名であった。

腹に据えかねた私は、その半分以上を焼燬(しょうき)したが、半分は歴史の証言として価値があることに気づいて保存した。家人が嫌がるので玄関ドアの赤ペンキも消去したが、後日、せめて撮影しておけばよかったと臍(ほぞ)を噬(か)んだ。

「グラビア写真がインチキであるから、内容も噓にちがいない。筆者は筆を折るべきである」と著名な学者までがグラビアを見ただけで雷同した。写真は誤用したが、内容は真実であると、徹底的な取材を踏まえて私は自信があった。マスメディアも内容についてはほとんど言及しなかった。

その後、多くの学究や研究者によって、七三一部隊の実態は余すところなく追究され、世に露出されている。これを世界に恥をさらす自虐的行為だと言う者もいるが、日本が犯した非人道的戦争犯罪を、臭いものに蓋(ふた)をするように隠す行為こそ日本の恥をさらすものである。

凄まじい抗議、攻撃、バッシングの渦の中で、私はすでに第三部を書き始めていた。「森村誠一暗殺計画」を企画した右傾メディアもあった。バッシングに怖じ気づいて引き下がるようであれば、初めから筆を染めないほうがマシである。

全国から激励の声が集まった。折から神戸市役所センター合唱団長田中嘉治氏より、『悪魔の飽食』をぜひ歌いたい。ついては、その歌詞を作ってくれないか、という提案を受けた。

私は驚いた。『悪魔の飽食』のような非人間的な戦争の実態を、果たして詩化できるものかどうか、ためらっていた私に、田中氏は食いついて離れなかった。

「卑怯な匿名」

一方では国賊、売国奴と称ばれ、片方では戦時中の非人間化を繰り返してはならないという『悪魔の飽食』のアピールを支援、協賛する人びとも増えていたのである。こうして『悪魔の飽食』の原詩が生まれ、池辺晋一郎氏と神戸市役所センター合唱団により合唱用に編詩されて、池辺氏の作曲による混声合唱組曲「悪魔の飽食」が生まれたのであった。

だが、『悪魔の飽食』発刊後、三十余年後の今日に至っても、インターネット上に『悪魔の飽食』は贋作(がんさく)、模倣であるという書き込みが載っている。ネットの書き込みには署名がない。署名がない人間の言動や非難は、自分の言ったこと、行ったこと、書いたこと、他人の非難、中傷、妨害などについて一切責任を持たないということである。脅迫状の大半も匿名であった。

匿名や偽名で他人を攻撃する者は、無責任であると同時に卑怯である。戦時中の大本営発表も噓ばかりで、国民を騙しつづけていた。憲法九条の解釈改憲も欺瞞(ぎまん)の色が濃い。

「ここで引き下がっては、日本の民主主義は一歩退くことになる」と角川書店の社長が助け舟を出してくれた。こうして『悪魔の飽食』は書きつづけられ、第三部、最終巻が完成した。

『悪魔の飽食』が完結した後、角川書店の社難とも言うべき事件が発生した。事件の大要はマスメディアによって詳しく報道されており、角川書店創立以来最大の社難であった。

角川家三姉弟の長女・辺見じゅん氏(作家)の相談を受けて、角川書店支援の会を立ち上げた。大藪春彦、清水一行、高橋三千綱、中原誠名人(棋士)、田辺禮一(れいいち、紀伊国屋書店専務)、山村正夫などの各位が駆け付けて、「角川書店の将来を考える会」が発足した。また、多くの作家や海外から支援の言葉が寄せられた。紀伊国屋書店が当時の松原治社長の指揮の下、内外全店挙げて支援してくださったのは、角川書店や我々作家グループにとって強力な助っ人になった。

紀伊国屋書店と今日の角川歴彦会長のKADOKAWAグループは、(角川書店の)創立者角川源義氏時代からつづいている絆をより強固なものにしたのである。

 

引用:「国賊の証明」東京新聞2015年3月4日付、「悪魔の詩化」同年3月5日付、「卑怯な匿名」同年3月6日付

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