「声」(朝日新聞2015年6月17日)

開いた口が塞がらないとは、このことでしょう。3人の憲法学者が衆院憲法調査会に呼ばれて、安全保障関連法案を「違憲」としたのに対し、政府は「行政府による憲法解釈として裁量の範囲内」と反論しました。自ら招いていながら我が意に反すれば、学者は黙れと言わんばかりです。非礼の極みです。

中谷元・防衛相は2年前、雑誌の対談で「(憲法)の解釈のテクニックでだましたくない」と述べています。

そもそも不戦憲法は米国製ではなく、人間性を否定する戦争にうんざりした日本国民の総意によって生まれたものです。戦争は、敵に殺される前に国家によって国民の人生が破壊されるものです。軍事力は相対的なものであり、相手国が1位に達すれば、2位以下は意味がなく、軍拡競争が始まります。

安倍政権は、戦争可能な国家に改造しようとしていますが、相手国と話し合うのが順序です。

憲法の解釈を閣議で決定するのは、同族会社の会議のようなもの。百家争鳴になっても、一番偉い社長や会長の鶴の一声で決議されてしまうのと同じです。

現在、国の存立と国民の権利にかかわる明白な危険とは何か。それは一番偉い最高責任者であると言っても過言ではありません。

朝日新聞(2015年6月17日「声」の原文)

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