犬は番犬、救助犬、牧羊犬、愛玩犬、警察犬、軍用犬、アイメイトなど、さまざまの役に立つが猫は丸くなって眠っている時間が多く、怠惰で、ほとんどなんの役にも立たない。忙しいとき、「猫の手も借りたい」「猫よりましだ」などと言われるゆえんである。
主人が強盗に襲われたり、危難に瀕したりすれば、犬は命に代えても主人を守ろうとするが、猫は真っ先に逃げ出してしまうであろう。
それでいながら、猫は犬よりも明らかに優遇されている。
飼い主は犬派と猫派の真っ二つに分かれる。我が家は代々猫派であり、名前も歌舞伎役者のように襲名である。それでいながら、猫の本性はいまもってよくわからない。
猫は犬のように芸をしないが、それはできないからではなく、誇り高く、犬のように芸をして、飼い主におもねらないからだという。だが、猫がなにかをしてもらいたいときの甘ったれた鳴き声や官能的な仕種は、おもねっているとしかおもえない。
室内に猫がいると、平和に見える。猫のいる家は安定感がある。これが犬となると座りが悪い。
屋内だけではなく、まったく野良の姿の見えない街角は、なんとなく信用ならない気がする。
野良が住人の善意によってけっこう肥え太り、幸せそうに生きている街は、住人たちの温かい体温が感じられるようである。街角から野良犬は消えでも、野良猫が健在であるのは、猫族のしぶとさというよりは、猫派が多い証拠であろうか。
同じ猫族であっても、猫ほど差別の多い動物はない。血筋の確かな、あるいは器量のよい猫は、人間に飼われて、下にも置かれぬようなお猫さま暮らしをしているのに対して、野良猫は人間の情けにすがって露命をつないでいる。飼い猫が二十年も生きるのに対して、野良猫の平均寿命は二年であるという。この差を見ても、猫族の差別がわかる。
散歩の途次、顔馴染になった猫を撮影しているが、飼い猫は同じ顔ぶれなのに対して、野良は交替が激しい。死んだり、猫狩りに捕まったりしているのであろう。
撮り集め、比べてみると、猫相も十匹十色で、イケ面猫もいれば、化け猫もいる。私は化け猫も好きであるが、同じ寝床に寝る気はしない。
(スパイス刊・森村誠一の写真俳句のすすめより)