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『野性の証明』アメリカロケ記念撮影。前列中央・角川春樹氏より左へ薬師丸ひろ子氏 (黄色のジャケット)、高倉健氏。最後列右より5人目・夏八木勲氏、8人目・松方弘樹氏、および野性軍団のメンバー。映画のロケのために柔・剣道・空手な ど有段者のみによる体力・気力抜群な20名を全国応募者から選び、アメリカ・キャンプ・ロバーツにおいて米軍のグリーンベレーが実戦訓練を行って鍛え上げた実戦力を持つ精鋭である。
大阪のテレビに出演したとき、出演料としてポータブルラジオをもらった。FM音楽放送をつけ放しにして執筆中、都会的な哀愁をおびた流麗なサウンドが耳に入ってきた。これがポール・モーリア氏との出会いであった。以後、氏のファンとなり、氏との対談が実現した。繊細な感性に溢れていながら気難しくなく、マイルドで包容力のある人柄に、ますます魅せられ、私は氏の来日のつど、演奏会に行き、コンサートプログラムに詩を献じた。
40代後半、TBSにて吉永小百合さんと。森村作品の愛読者である吉永さんは、特に「星のふる里」が好きだと言う。
読売テレビ「11PM」『悪魔の飽食』についてテレビ出演。
右端・下里正樹氏、左2人目・藤本義一氏。
『悪魔の飽食』についてテレビ出演。右2人目・下里正樹氏、4人目・藤本義一氏。読売テレビ「11PM」撮影。
下里正樹氏は、『悪魔の飽食』のコーワーカーである。当時、「赤旗」の花形記者で、同紙に掲載した『指名手配』『死の器』で私の担当となった。地を這い草を分けるような徹底した取材精神の持ち主で、まさに新聞記者の権化のような人である。赤旗祭りのバザーに出すために、私の寄贈図書をもらいに特大リュックをかついでやってきた。リュックを本で満杯にして立ち上がろうとしたが、立ち上がれない。やむを得ずリュックから本の一部を取り出したが、それを両手に持ったのには驚いた。
『悪魔の飽食』の取材に中国を訪れたとき、731部隊の本拠地・平房で、巻き尺を取り出して、ボイラー工場、巨大煙突の直径や、各煙突の間隔を測り出して、現地の人たちをびっくりさせた。氏の圧倒的な取材力がなければ『悪魔の飽食』は完成しなかったであろう。
角川春樹氏復帰を祝う会。右・原田知世氏、左・原田貴和子氏。
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