著名人・芸術関係 – 1970年以後11

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右・鳩山邦夫氏。
政治家と作家は本来、相親しめないとおもっているが、 人間としての相性や共感というものがある。主義・主張とは別につき合えるのが男の特技というものであろう。私の作品の中では、概して政治家は悪役である。それにもめげず、鳩山氏は拙作の愛読者である。都知事選においては陰の応援団長を務めた。自民党は嫌いだが、氏の行動に関心を持っているのは人間的共感があるからであろう。


北海道大学教授・神沼公三郎氏から招かれて名寄(なよろ)へ行った際、戦前、戦中の朝鮮人強制連行労働者の実態を知った。著作リスト『笹の墓標』参照。日本で最寒気温を記録した朱鞠内(しゅまりない)湖畔「笹の墓標展示館」には、異郷に骨を埋めた労働者の遺品が保存されている。幌加内町共同墓地に埋められた強制労働犠牲者の遺骨発掘ワークショップは、現在でも空知(そらち)民衆史講座会長・殿平善彦氏たちの主導によってつづけられている。前列左端・神沼公三郎氏、右端・殿平善彦氏、後列左端・古田俊也氏。


荒木経惟氏。
紀伊國屋書店社長・松原治氏の紹介で知り合ったが、晩聲社社長・和多田進氏からも噂はよく聞いていた。荒木氏とは面白い共通項がある。2人とも猫が大好きである。荒木氏のTシャツの猫の名はニャラーキー。


いしだあゆみ氏と。


加藤剛氏は拙作『孤剣』に出演以来、私の時代小説主人公としてのイメージが私の意識に定着してしまった。「混声合唱組曲悪魔の飽食」東京公演では、池辺晋一郎氏と共に舞台に並んだ。
我が生涯の記憶に残る”共演”であった。


鹿児島市民文化大学に招かれて同市を訪問した際、知覧(ちらん)へまわった。特攻隊が不帰の出撃に飛び立つ前の数日寝起きした三角兵舎には、戦争によって春秋に富む将来を摘み取られてしまった若者たちの無念がこもっているように感じた。このときの印象は『ノン ニュークリアエイジ-戦争の記憶』や、『エンドレスピーク』に実った。右は南日本新聞社・上田公生氏。


妹の嫁ぎ先熊本へ行った際、細川護熙氏夫人に茶席に招かれた。
ただの茶席ではない。肥後52万石藩主北の方に招ばれた茶席のような気がした。
当時、ご夫君は総理大臣。

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