第四歌集「愛と死の歌」 – 第一回

1、痛み止めモルヒネ飲んでそのまんま何もできずに薔薇の眠りへ 2004/05/21
2、骨膜にがんが浸潤する痛みガラスのような白菊の花
3、そよ風よ憔悴しきったわたくしに五月の色は涙色です 2004/05/22
4、三十三独身で咲く薔薇もあるがんの痛みが未来むしばむ 2004/05/27
5、夕映えの五月の空の彼方より鈴の音して虹は消え初む
6、クローバー蜂蜜入りのミルクティーわたしの朝のさやかな願い 2004/06/01
7、緑青のガラス一輪挿しのなか純白の薔薇音もなく散る 2004/06/03
8、「快気祝いもらうからね」と笑う君永久(とわ)に来ることない日と知りつつ
9、モルヒネを飲む朝白く天高くツルを伸ばすわ朝顔の花 2004/06/05
10、人生が不思議な色のビー玉のようにころがりはじめたあの日 2004/01/19
11、海の石どこから流れついたのかそしていつから存在するのか
12、羽衣をかけた松の木そのみどり千年たってもときわの緑
13、乗車券そっとしのばせ逢いに行く桜の色のワンピース着て
14、乳房(ちぶさ)ない不具の私を憐れむなカモメお前もいつか死ぬのよ
15、亡き父のために野原で花を摘む十一歳を照らす夕映え
16、愛撫するその指永久(とわ)に止めないで最期のときがくるまでずっと 2004/06/06
17、紫陽花は涙がないと枯れてゆくそれは私と同じ運命
18、夕暮れて君が泣いてる理由さえ見つけられないわたしはひとり
19、透きとおる空の彼方を見上げれば神の足跡いま虹がたつ
20、七夕に織姫そして彦星は出逢えただろうか小夜(さよ)も曇り日
21、がんになり白くて長い指先はなにもできない わたくしに死を
22、五月には君との果樹園おもいだす未来になにを想うのだろう
24、合掌の指の間をこぼれくる雨のあがった夕陽の匂い 2004/06/07
25、目を閉じた人形たちが見てるのは人の世のつね暴力ばかり
26、目覚めれば誰かがそこにいるような幻を見るロゼ色夜明け
27、恋人の指のぬくもりいつだって覚えていますなくした乳房 2004/06/07
28、北側の部屋に光がみちている鉢花の影うきあがらせて
29、「人生はこれからなのよ」道ばたで花を摘みつつつぶやく老女 2004/06/08
30、真白な胡蝶蘭には透きとおる朝の光がよく似合います

31、香炉から静かなけむり立ちのぼる羽化せず逝った蝶々のため
32、野のゆりよ先に逝ったらごめんねと誰にことづてすればいいのか 2004/06/11
33、薔薇のお茶一緒に入れて飲みましょう恋して生きた想い出のため 2004/06/13
34、百八の煩悩せめて消えるよう黒髪うめる菊をください
35、きらきらと遠くの海の波間から運ばれてくる痛みをとめて 2004/06/14
36、惑星の皮膜のようなわたくしの蒼(あお)い唇うばってください 2004/06/15
37、潮風が運んでくるわ鈴のおと海の魂呼びよせるため
38、六月も半ばを過ぎたハチスズメ花嫁の舞う空へおかえり
39、三月に花が咲くのはチョコレート来世を待つ婚姻もある
40、朝もやにパン焼く匂い生きているそして明日も生きていくのね
41、運命よせめて最期の一日は花にうもれて過ごしていたい
42、雨の日の明け方そっと窓をあけ今朝も濃くなる紫陽花を見る 2004/06/17
43、純白の紫陽花しずかに空をみる神のゆるしを花に受けつつ
44、あなたとの添い寝ひとひら紅葉(もみじば)がゆっくりゆっくり降りてくるよう 2004/06/19
45、「キスをして」最期の願い述べてから死ねるのならばなにも悔いなし 2004/06/21
46、君想う口づけひとつ紫陽花の雫となってこぼれ落ちます
47、雨の日の桜は濡れてどこまでも紫になる死を見据えつつ 2004/06/23
48、アイライン・ペンシル削る指先に入れる力もなく時雨(しぐれ)ふる
49、白磁器の対の天使の人形に口づけさせて 泣き続けてる
50、「美乃里、美乃里!」とそう呼んで死んだ私にあなたキスしてください
51、死の後のことを語って泣き崩る痩せた私をあなたは抱だく
52、彼のひとの愛の軌跡を書くまでは神よわたしを生かせてください
53、露に咲くしらゆりであれいつまでも誰かが私に恋するかぎり
54、白桃はほんのり紅に色づいて痛みある日の花蜜となる
55、もう一度季節がまわってくるようにドレス一枚買い足してみる
56、痛みより死が怖くなり汗ばむの夾竹桃(きょうちくとう)を咲かす魔の夏
57、おばあちゃまアガパンサスが咲いてますいつかお召しの着物の色して 2004/06/24
58、薄暗い台所には死に絶えた生き物の霊そっとうごめく
59、弱りゆく私をどうか美しいあなたの瞳に焼き付けていて
60、死んだならお花の精に戻ること君が教えてくれたのでした 2004/06/25
62、君はいうショパンを聴くと思い出すふつつかなれど私のことを
63、青い蝶とぶのをやめたその日から死への準備は始まったのです


(病室にて2004年6月から)

175、透明なグラスにガーベラ七輪の心が空を見あげています
176、仰臥して君が来るのを待ってます枯れかけそうな一輪の花
177、点滴の雫ひかりを抱きながら私という名の海へ帰るの
178、わたくしのがん浸潤し水溜まる天使のこぼした涙みずうみ
179、星消える間際の空の瑠璃色はそっとしぼられつゆ草になる
180、解熱剤のませてくれるその母の残り香だけが寝床を包む
181、「天女だね」そういうあなた羽衣はいったいどこへ隠したのです
182、「ありがとう」そう言いながらくずかごにオレンジジュースの皮捨てる朝
183、点滴はわずかさざなみ立てながらこのわたくしを生かしているの
184、ほの暗い夜の病室天上のあの影の中魔物がいるの
185、添い寝する月の光よあの人と私をそっと包んでください
186、遺(のこ)されたときを想えばこの人がたったひとりのひとだと思う
187、暮れてゆく夏の日の午後おしろいの花は少女の頬紅となる
188、手術後の傷跡深くもう二度と着物もきれぬ身となりました
189、紅水晶いのち吹き込むその石に私の死後も触れてください
190、さらささら波のひきぎわさらささら私を遠くへ連れて行ってね
191、雨の日の午後は灯りをつけぬまま光の中にとけてゆきます
192、はじめての口づけされたこの宵に私の薔薇はほんのりピンク
193、母の飲むブランデーには星屑が映っています 遠いみずうみ
194、ひゃるひゃるる病室の窓開けるときいたずらっ子の風が遊ぶよ
195、青緑あついガラスの断面を眺めていればあきることない
196、”君だけを一生幸せにしたい”私には何も自信がなくて
197、鍵よかぎカギを返してわたくしが私に戻っていかれるように
198、車椅子おして並木を歩む君 体重減ったことは告げられず
199、座る君たって懐(いだ)けばこの胸に母の木のよう鼓動がともる
200、だるくても七月の空ただ高く仰臥したまま見る夾竹桃
201、”慈愛だけ”母はそんな人なのです 私が先に逝くことさえも
202、立秋の風を受けつつ車椅子やさしいやさしいあなたの歩調
203、消えそうな意識の中で母を呼ぶ苦しい検査終えた瞬間
204、ゆっくりと車椅子押す君の目の美しい色見える気がする
205、点滴の雫がスローモーションに見える朝(あした)は死が近い気がする
206、もう一度、もう一度だけあの人と奈良へ行きたい夢でいいから
207、たわわなる蜜柑のなった丘の家ともに暮らそう二人死んだら
208、病院のカベ水平線に見える日よ せめてカモメよ舞いきてほしい
209、こんなにも早く遠隔転移が来るなんて それは死を意味することなのです
210、あなたとは道なきみちを歩んできました がんの転移という名の終止符
211、夢を見るあなたを探すゆめをみる一人で旅立つなんてやっぱり怖い
212、ママ!靴を隠さないでねわたくしがあちらへ旅立つ日の薔薇のパンプス
213、夜の闇が不安で怖い 病室を花の香だけがほのかおりゆく
214、点滴で青くむくれた不機嫌な私の腕よ飛行機雲よ
215、真夜中に龍の背びれの光るほど雷鳴あってもがんに勝てない
216、かきあげる髪の長さが秋風の精になるまで君とホームで
217、がんになり真夏真赤な花弁して葵(あおい)花咲く母との入院
218、オパールの原石の中のぞくように母の瞳は美しいもの
219、今生(こんじょう)のこの景色より素晴らしいあちらの景色を早く見たいわ
220、花も血もすべて私のためにあれ女に生まれたわたしのために
221、病院ですすり泣くのは私です幽霊などではなくこのわたし
222、問いかける「虹を探しにきましたよ」天使が末期がんのわたしに
223、病室にひまわり揺れて私にも語りかけますがん細胞にも

224、燦燦(さんさん)と夏の陽あびる金色の薔薇よ私の余命はいくら?
225、母と手を取りて眺める病窓の花火に映る涙まぼろし
226、ひとりきり救いへ誘う夜更け雨あなたの涙わたしのなみだ
227、立秋というにはあまりに強すぎる陽射しの中で脳転移しる
228、難しい手術を受けるそのために転院をする立秋の朝
229、乳がんが転移したことその意味を問うたりしない立秋の風
230、あの愛が死へ向かわせたあの愛がいまは私の命のすべて
231、大切な人とささいなけんかする悪いのはいつもわたくしなのに
232、雲ひとつない秋空はまぶしくて今日も誰かが死んだのだろうか
233、サルビアの花摘み取って口つける幼き日々がよみがえりくる
234、わたくしががんだと知ってそしてなお離婚に踏み切る愛だったのです
235、キスするとどこかの国へ飛んでゆくそれは死なのかもしれないけれど
236、見つめあう見つめあうただそれだけで恋人同志という名の不思議
237、いまたとえ結合することできぬとも一体感がふたりの命
238、秋になり女の魂さらけだすあなたのためにそのためだけに
239、夏祭り病室窓から見る花火三十三しか生きてないのに
240、病室にいる間いつしかセーターの季節近づく遠い青空
241、君想う僕の涙は天の川いますぐ届けその枕もと
242、しその花むらさき香る夕暮れに迷いアゲハは闇に溶け込む
243、窓の外しのつく雨を見つめつつ花瓶の薔薇は死にかけている
244、枯れかけたサルビア泣いているようで強い日差しは容赦もなくて
245、セーターの毛玉の数もあの人を想う私の気持ちなのです
246、ほおずきを見舞いにくれる友あってその赤い実は命の重み
247、ほおずきの葉脈いのち流れてる真赤なまっかなノスタルジアで
248、生きているなのに死んでいくようなそんな気がする初秋の気配
249、わたくしも連れて行ってと雲に問う九月の空よああ恋人よ
250、ティーにふとむせた私を抱きかかえ背中をさすってくださるあなた
251、燃えさかる炎のようにカンナ咲く私の心を切り裂きながら
252、キスしてるあなたの腕の中にいる吐息のなかで聴くアヴェマリア
253、朝起きて巨峰ひとつぶ含むとき秋の気配は胸に満ちくる
254、末期がんそれでもわたしは生きている小さな薔薇が今朝咲きました
255、目を閉じて考えごとをしていれば君のくちびるふいに触れくる
256、雨に濡れホタルブクロは全身で風に震えるあのひとのため
257、カーネーション黄色紅色その色に君の心が込められている
258、ロザリオという名のぶどう口にして祈るのはただ愛されること
259、秒速でかけぬけてゆく真夜中の嵐の音は死のプレリュード
260、空を見て幼い日の雲風の色少女の私を抱きしめたいの
273、花びらを髪に飾ってわたくしはオフェーリアになるこの春の野で
274、この世ではたとえ一緒になれずとも小指の糸は切れはしないわ

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