96条改正論 国の信用下げる
岡崎哲二氏
(前略) 96条は、「この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない」と定めている。改正に積極的な安倍晋三首相は、発議要件について、「2分の1に変えるべきだ。国民の5割以上が憲法を変えたいと思っても、国会議員の3分の1超で阻止できるのはおかしい」と述べている。
96条の規定は、憲法改正のハードルを高くし、憲法を安定させるようにデザインされている。(中略)
国家は本来、個々の国民に対して圧倒的な権力と強制力を有している。それを有効に制約する制度がなければ、国家はコミットメント(約束・義務・責任・森村記)能力を持たず、したがって国家と国民の間の経済取引は成立せず、国民の経済活動に対するインセンティブ(動機付け)が低下してしまう。長い歴史を通じて、この問題を解決する有効な手段として形成された制度が憲法にほかならない。
大日本帝国憲法(明治憲法)、日本国憲法を含めて、近代国家の憲法は国家の権力を制約し、国民の権利を保障する条項をその本質的な部分として含んでいる。これらの条項が国家のコミットメントの手段であるとすれば、変更されにくいことに意味がある。
特に今日の日本を含む議院内閣制の国では、政権は通常、議会の多数党によって組織される。憲法改正の要件を議会の過半数の賛成に緩和することは、国家の裁量を過度に大きくするリスクがあり、国家のコミットメント能力を低下させる。それは国債の信用低下や、民間経済活動のインセンティブの低下を生み、結局、国家にとってもよい結果をもたらさない。
(朝日新聞 2013年5月10日号より一部引用)
「強制連行問題他にみる日独の落差」
菅原 秀氏
(前略)1099年12月、ドイツ、ラウ大統領の声明
――政府と企業は「過去の不正義が引き起こした責任分担と道徳的義務を受け入れなければならない」。「犯罪の犠牲者にどんなにお金を積んでも、きちんと補うことができない」ことは、私たちはよく知っている。「奴隷労働と強制労働は、単に賃金が支払われなかったことだけを意味する」のではなく、「人々の故国と人権を奪い取り、人間の尊厳を容赦なく奪い取る行為」で、意図的殺人にも利用された。今回の補償は遅きに失するが、生存者は早急に受け取ってほしい。「それが金銭の問題ではない」ことは十分承知している。「犠牲者が求めていることは、あのときの苦しみを苦しみとして、あのときなされた不正義を不正義として認められること」である。「ドイツの支配のもとで奴隷労働と強制労働をしいられたすべての人々に弔意を表し、ドイツ国民の名において、ここに許しを請う。(後略)
『ドイツは何故和解を求めるのか』菅原秀氏
未来への展望のために
近江谷昭二郎氏
(前略) いま安倍政権・自民党などは、歴史の歪曲、偽造で国民の認識修正をはかりつつ、九条廃棄、国防軍、海外派兵、人権抑圧の道をめざしている。「維新」を掲げる勢力も現れた。暗黒の日本を再来させてはならない。
そのためにも、歴史的不正義を克服し、正義と人権、自由、民主、平和の未来を、また東アジアの和解・協力を展望しなければならない。いま、長年にわたる治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟のたたかいのほか、過去の克服=戦後補償をもとめる数多くの運動が続けられている。レッド・パージ訴訟は戦後史における最大の歴史的不正義とのたたかいである。
過去克服運動は、歴史の真実=正義・不正義を知ることから始まる。その意味で、歴史認識、歴史の記憶運動である。(後略)
「自由民権の里」にて
豊 公子氏
厚木市荻野
戒善寺境内
碑にきざまれた文字は
「自由民権の里」
この地に生まれ
この地で死んだ
民権家たちがいた
コスモスとススキの風に吹かれて
自由民権の里を歩けば
一三〇年前が
にわかに近づく
新しい時代のために
男も女も
若者も老人も
ひた走った里
民権家の願いが
日本国憲法となって公布されたのは
一九四六年十一月三日
碑の前で大山を仰ぎ
里の空気で胸を満たす
裏面に刻まれた民権家の名前の中に
知っている名前を見つけた
指でなぞって
私たちの活動を伝える
(――橋本進氏提供)
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