戦争を正当化する詭弁の見本
大日本戦史
「文化と戰争とは、一見對蹠的な事實であるが如く見られる。けれども事實は、戰争は人間生活の最高峯に達した一の文化現象といふべきである。現在日支間に行はれて居る戰闘にしても、武器は勿論、用兵作戰その他後方緒設備に至るまで政治經濟は固より、學藝技術等所有方面に於いて、兩國は各々その有する全力、即ち、建國以來の長き歴史の下に作られた國民文化の精華を、全面的に傾け盡して、之に従事して居るのである。かゝる事實は古にあつても、何等變ることはない。この意味よりすれば、戦争こそは他の如何なる現象よりも、より高くより大きく評價せらるべきであると信ずる。たゞそれが普通一般には、破壊的方面を代表するものなるかの如く見られて居る點から、文化といふことからは著しく驅け離れた現象であるかの如く思はれて居るのである。
凡そ國家の発展、文化の発達に當つては、必ず戰争を伴ふのが常である。平和を戰争から切り放つことは、思索的遊戯としては出來る。けれども現實的事實としては不可能である。學問藝術等の所謂文化的現象は、それのみが宛も文化そのものであるが如く思惟しされ易い。けれどもそれは文化の一部分ではあるが、決して全體ではないことをわすれてはならない。(後略)」
(昭和十二年(一九三七)十一月二十八日、編者高柳光寿氏)
竹内浩三氏
「骨のうたう
戦死やあわれ
兵隊の死ぬるや あわれ
遠い他国で ひょんと死ぬるや
だまって だれもいないところで
ひょんと死ぬるや
ふるさとの風や
こいびとの眼や
ひょんと消ゆるや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や」
斎藤隆夫氏
「(前略)一たび戦争が起こりましたならば、もはや問題は正邪曲直の争いではない。是非善悪の争いではない。徹頭徹尾力の争いであります。強弱の争いである。強者が弱者を征服する、これが戦争である。正義が不正義を膺懲する、これが戦争という意味でない。(後略)」
一九四〇年二月二日、第七十五議会政治演説。
窪島誠一郎氏 「無言館」館主
「あなたを知らない
遠い見知らぬ異国(くに)で死んだ 画学生よ
私はあなたを知らない
知っているのは あなたがのこ遺したたった一枚の絵だ
あなたの絵は 朱い血の色にそまっているが
それは人の身体を流れる血ではなく
あなたが別れた祖国の あのふるさとの夕灼(や)け色
あなたの胸をそめている 父や母の愛の色だ
どうか恨まないでほしい
どうかな咽かないでほしい
愚かな私たちが あなたがあれほど私たちに告げたかった言葉に
今ようやく 五十年も経ってたどりついたことを
どうか許してほしい
五十年を生きた私たちのだれもが
これまで一度として
あなたの絵のせつない叫びに耳を傾けなかったことを
遠い見知らぬ異国で死んだ 画学生よ
私はあなたを知らない
知っているのは、あなたが遺したたった一枚の絵だ
その絵にきざ刻まれた かけがえのないあなたの生命の時間だけだ」
原爆投下機エノラ・ゲイ号の機長ティベッツ大佐
「原爆投下は私が道徳的にあれこれ考えて決定したことじゃない。戦うのは勝つためであり、そのためには使えるだけの手段を使わねばならない。そのなかで、だれかが傷を負い死ぬのは当然だろう。
あるいは、こういうふうに正当化できる。つまり、戦争という状態のなかでは、だれだってだれかが死ぬのを知っている。神に召されるときには召されるものなんだ。母親もそうだったが、私自身も運命論者だ。そういう意味では、広島や長崎のあの日は、死んだ人にとって神に召されるときだったんだ。私にはそうとしか思えない。
私はあの時点での原爆の使用を支持する。もし、まったく同じ状況なら、もういちど、原爆を投下しているだろう」(『週刊朝日』の昭和史)
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