憲法九条名言集5

高橋源一郎氏

ニッポン国憲法の秘密

(前略)
さて、わたしは長い間、ニッポン国憲法というものをなかなかいいものではないかと思ってきた。
いまは違う。評価を下げたって? ノーである。逆に上がった。古びるどころか、21世紀のいまこそぴったり、筆舌に尽くしがたいほどイケてるんじゃないかと思うようになったのである。
ところで、ニッポン国憲法といえば、最大の問題が9条であることに異存はない。
(中略)
この2項の保持しないことになっている「戦力」を、この国は保持している。明らかに矛盾ですねえ。では、この矛盾を解消する方法はないのか。実は、わたし、考えてみたことがあるんです。

詳しくは書かないが、それは「自衛隊を予算ごと全部国連にプレゼントして国連軍にする」という案だ。そうなると、自衛隊=国連軍は日本の「戦力」ではないのだから、なんの問題もない。しかも国連軍が日本に常駐するのだから、安心この上ない。うーん、グッド・アイデア、と思っていた。

しかし、ある時、内田樹(たつる)さんが『9条どうでしょう』という本に書かれた文章を読んで愕然(がくぜん)としたのである。そこには、憲法は矛盾しているからこそ素晴らしい、と書いてあったのだ。そんな発想ありかよ! 目から鱗(うろこ)とは、このことですよ。

内田さんは、こんなことを書いていた(たぶん)。
──戦後60年、「戦力」を持たないと憲法に明記しながら、実際、この国は「戦力」を保持してきた。その結果どうなったか。すごくうまくいっちゃったのである。おまえのところは一人前の国だから海外に軍隊を派遣せよと言われれば「憲法があるので無理」と答え、「軍備を増強せよ」と言われれば「まあ、憲法もあるのでほどほどに」と答える。

憲法に縛られ、弾の1発も自由に撃てない「日陰者の軍隊」をショーウインドーに飾り、他の国の憲法諸君が、なんの悩みもなく「イケイケ」でいるのに対して、この国の憲法は、青ざめた表情で様々な「矛盾」に絶えず苦しんできた。そして、その合間に、ひそかに経済発展に専念することができたのである。平和と繁栄を享受できたのは、憲法が「矛盾」していたおかげなのだ──。

いやあ、「矛盾」した憲法で良かったね。でも、なぜ、こんな、類のない「矛盾」が、この国の憲法に書き込まれていたのだろう。

『憲法九条を世界遺産に』で、中沢新一さんは「憲法九条を含む日本国憲法」が、どれほど「尋常ではない」かについて、驚くべき意見を書いている。このように。

──あらゆる生命体が持っている大きな特徴、というか機能が一つある。「免疫機構」だ(体に細菌が入ると、やっつけるために白血球が現れる、というやつ)。自分とは「異質な他者」が入ろうとすると排除する、この機構をあらゆる生命体は持っている。実は国家も、この機構を持っている。それが「武力」だ。

ところが、日本国憲法には、その機構がない。この国は「免疫解除原理」を持っている。そんな国は他にないのである──。

これだけでも驚くべき意見だが、中沢さんは、さらに、同じ「免疫解除原理」を持っているものが、憲法9条以外に少なくともふたつある、と書いている。それは、本来、異物である新しい生命を、「免疫機構」を解除して慈しみ育てる「母体」と、本来、対話不能の人間と動物がコミュニケーションを持てる「神話」だ。どちらも「異質な他者」を迎え入れることができるのである。

だが、わたしなら、そのリストに「文学」を付け加えるだろう。
カフカの『変身』を読んで「どうして人間が虫に変身するんですか。意味がぜんぜんわからない」と言われても、わたしにはわからない。書いたカフカもわからなかっただろう。「文学」は答えを出さない。ただ、問いかけるだけなのである。

では、なぜ、問いかけるのか。人間というものは、おそろしいほどに怠惰な存在で、放っておくと、なにも考えず、暴走しちゃうからである。そのために、年がら年中、問いかけ続ける必要があるからだ。「文学」はそのために存在しているのである。

およそ60年前、二つの国の人たちが力を合わせて、ニッポンという国に、前人未到の新しい憲法を作ろうと考えた。それまでのどんな国の憲法にもない「原理」を導入しようと考えたのである。

アメリカは、勝って浮かれていた。ニッポンは、負けて脳震盪(しんとう)を起こし、気絶していた。憲法などと国家的原理を作る重大時なのに、どちらの国も、ぼんやりしていた。憲法を作ろうとした人たちが、自分の所属するどちらの国にも気づかれず、そっと、理想の「憲法」を作るには、絶好のチャンスだったのである。

彼らは、国家の原理の中に、前例のない「矛盾」を、「自分自身を疑う」という機能を、「異質な他者」を受け入れるという機能を、本来、国家の原理とは厳しく対立する生命や神話や文学の原理に近いものを埋め込んだのだ。

ニッポン国憲法は、マグナ・カルタや「権利章典」以来の憲法の歴史に、新しいコトバを書き加えた。政治のコトバしか知らなかった憲法に、神話や文学や哲学のレベルのコトバを付け加えた。彼らは、来るべき世界の混乱に立ち向かうためには、そのレベルのコトバが必要だと考えた。それが、おとなの叡智(えいち)
というものなのだ。

彼らの予感は正しかった。
宗教戦争やテロはなぜ起こるのか。難民はなぜさまよ彷徨い続けねばならないのか。イジメはなぜなくならないのか。ネットでなぜいつも誰かが血祭りに上げられるのか。

それは、人々が、無意識の中に、「異質な他者」を排除しようとするからだ。打ち破るべきは、その「原理」なのである。

こんな考え方は空想的で、現実的な力を持たないのだろうか。

実は、逆だ。生命や神話や文学の原理の方が、国家や政治の原理よりずっと、限りある我々の生を豊かにする……現実的な力を持って・い・ることを歴史は教えてくれる。だが困ったことに、子どもには、おとなの叡智がわからないのだ。


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