日本を覆う9条改憲に異議あり―自衛隊を国防軍にする危うさ― 森村誠一
七月六日付毎日新聞の「近聞遠見」には異論がある。筆者の岩見隆夫氏は以下のように書いている。
「作家の野坂昭如氏は、憲法改正について、<自衛隊を国防軍に改める動きがある。名などどうでもいい。日本の何を守ろうとしているのか。小さな島国において軍事で守ることが出来るのか……>(5月21日付『毎日新聞』コラム<七転び八起き>)
と書いている。国防をどうすればいいのか、なにも触れていない。」
また「大江健三郎氏らは、改憲論議が起きるたびに、憲法9条こそ平和の礎と訴えてきた。世界の大江である。9条さえ守れば平和は永続する、と信じる人も多かろう。」と決めつけ、「野坂、大江らは「∧国を守る∨とは何か、を突き詰めて考えたことがあったのだろうか」と疑問を呈している。
そして、「いま肝心なことは、国敗れて憲法残る、にならないか、という問題提起にどう考えるかである。」
「安倍晋三首相らは改正の論拠として、9条2項は∧陸海空の戦力は保持しない∨としており、実態と合わない、と主張する。その通りで、誰も反対できない」と書く。
そんなことはない。実態と合わないのは当たり前である。戦争の反省を込めて、憲法九条が先に制定され、その後で自衛隊が生まれたのである。
要するに、憲法改定の論拠は、他国から侵略や攻撃を受けたとき、軍がなければ「国敗れて憲法残る」と後先を勘ちがいして主張しているだけである。
日本は決して軍事力空白国家ではない。軍ではない自衛隊という強い用心棒によって守られている。用心棒は軍ではない。戦前・戦中、軍事政権により人間的自由の悉くを圧殺され、八紘一宇の精神のもと、世界戦争に暴走した報いとして広島、長崎、また三百万を超える犠牲を払って手に入れた不戦憲法を改め、優秀な用心棒を、なぜ軍に昇格する必要があるか。
永遠を誓った不戦憲法が自衛隊を持ったのは、最大限の妥協である。憲法に対して自衛隊は戦力ではなく、安全保障力である。憲法と自衛隊は法理的に矛盾しているが、警察予備隊としての発足時から歳月が経過して、戦力ではなく、国の用心棒、安全保障力として、国民感情的に九条と協調するようになった。
九条が自衛隊を守り、自衛隊が国を守っている。国民に愛される自衛隊としての存在を、戦争誘発的な国防軍に改変する必然性はない。戦力が強大化すれば、シビリアン・コントロールから脱出して国民を補給源とする軍事優先国家となった例は、かつての日本、今日のエジプト以下、アラブ諸国やミャンマー、中国などに見る通りである。
自衛隊が日本の頼もしい用心棒であるからこそ、愛される自衛隊となり、不戦憲法と共生できるのである。
岩見氏は、「肝に銘じなければならないことは二つに尽きる。第一に、二度と戦争をしてはならないこと。そのためのあらゆる努力をする。9条1項(戦争の放棄)が掲げる通りだ」と言う。
賛成である。だが、「不幸にして侵略されたり戦争に巻き込まれたりした場合、絶対に負けてはならないこと。敗北は民族の大悲惨である。」と記述し、ご自分の旧満州体験による敗戦まで、また敗戦後の百万人に上る非戦闘員の犠牲をあげている。
平和とは、現に戦争がないだけではなく、戦争を起こさない保障システムがあることである。戦争に対する構えは、戦争を誘発する。九条は、その構えを制約しているのである。
満州の非戦闘員犠牲者が拡大したのは、軍が民間人を置き去りにして、さっさと逃げてしまったからである。絶対に負けてはならないという構えは、開戦前から国防軍を備えて、戦争をする姿勢を取っている。用心棒は我が方から先手をかけないが、軍は国防の名目で先制攻撃をかける用意をしている。しかし、先制攻撃は、今日では必勝につながらない。
今日は、第二次世界大戦以前の世界的帝国(自国拡大)主義時代とは異なる。自衛隊が発足後、ただ一人の戦死者も出していないことも、国民から愛される自衛隊になっていることも、憲法に守られているからである。
自衛隊は戦力ではなく、安全保障力と解釈すれば、九条を改定する必要は全くない。永遠を誓ったはずの、そして世界に誇るべき不戦憲法を改定、廃棄してまで、強い用心棒を「国防軍」に改める必要があろうか。
国敗れて残った憲法は、三百万を超える犠牲者、広島、長崎を踏まえてかち取ったものであり、憲法が残るのは当たり前であり、国敗れて今日の日本があることを忘れてはなるまい。
岩見氏は、「日本はきわどいところにきている」という。まさに同感である。憲法九条を改めたり、廃棄したりすることは、戦争で支払った犠牲を無にすることである。尊い犠牲を踏まえて獲得した憲法九条を改めようとする者こそ、今後の国防のあり方を、戦力オンリーに頼る不安をおぼえる。
戦力不保持は理想ではない。国敗れて、憲法が案出した国家安全保障力を保持している。これを戦力に変えて、いつか来た道をふたたび歩む愚を決して犯してはならない。
(日刊ゲンダイ2013.7.11)
現実が 憲法を裏切った 悪化した 森村誠一
○9月3日付、沢崎一郎氏の改憲歓迎論に反対です。まず、憲法9条が現実の状況と共存できないというご意見は、憲法が古びたのではなく、広島、長崎以下300万を超える犠牲を払った戦争を知らない68歳以下の人口を踏まえた現実が変わったのです。
つまり、現実が戦争の悲惨と犠牲を忘れて悪化したのであって、憲法が時代後れの夢物語になったわけではありません。憲法は国家、政権が暴走しないためのブレーキです。
今日の自衛隊は、軍ではありません。法理上の矛盾があったとしても、国家安全保障力として不戦憲法が最大限の妥協をし、時間の経過と共に国民感情が自衛隊と協調するようになったのです。
軍人は、戦争がなければ尊重されません。国防軍に昇格すれば、必ず戦争誘発力となり、戦力がシビリアン・コントロールから離れて権力となることは世界の歴史が証明しています。ポツダム宣言の精神を投影したGHQ草案を、論議を尽くし、修正した上で、衆議院、貴族院5名の反対のみで可決された、永久不戦を誓う憲法が限界にきているわけではなく、現実がタカ派政権によって操作されているのです。世界に誇るべき不戦憲法を、1代の政権の独裁によって改定すれば、日本の永久の汚点となるでしょう。
(朝日新聞 声欄2013.5.14)
憲法の危機 森村誠一
戦前、特に戦時中、日本に自由というものは、東京の自由が丘という地名以外にはないという時代であった。
一億 き国民は軍国主義に統一され、思想、表現、集会、宗教、学問、さらには旅行、結婚、恋愛、職業の選択、移動、プライバシー、読書、音楽、その他の芸術、芸能などに至るまで、基本的人権、および人間的自由の悉くを圧殺、あるいは規制されていた。
自由の圧殺の代わりに幅を利かせたのは、軍人、軍属、およそ軍に関わる者、軍需産業などである。「聖戦」という大義名分のもとに、「八紘一宇(はっこう(日本を中心にして世界を一つの国にする)」、「国民精神総動員」、「挙国一致」などの戦時標語が国策スローガンとして国民に強制され、戦局が厳しくなるにつれて、「進め一億火の玉だ」、「撃ちてし止まん」、「欲しがりません勝つまでは」から、ついには「欲しがりません勝つ後も」となり、「贅沢は敵だ」という標語のもとに、パーマネントをかけたり、振り袖を着た女性は、大日本婦人会などの女性自らの手によって、髪や袖を切られた。
「撃ちてし止まん」の表紙掲載を拒否した中央公論と改造は廃刊に追いつめられ、編集者および関係者は、投獄され、凄まじい拷問にかけられて四名が獄中死した。
戦死した息子に下賜された金鵄勲章(武功抜群の軍人にあたえる)を「そんなものをもらっても少しも嬉しくないたい」と言った老父は不敬罪に処せられた。
映画は敵国の文化であるから見るべきではないとか、例えばポパイがホウレン草を食べる広告看板は、敵国の広告であるから撤去せよなどと、当時の帝大(現東大)の教授や、識者が大真面目で唱えた時代である。
新旧憲法においても、女性は美しくあるべきであるという基本的権利を制定していない。そんなことは規定するまでもない、女性当然の権利であるからである。
そのような基本的権利すら、女性自らの手で圧殺した。物資払底の折から、振り袖を切る馬鹿さ加減はだれにでもわかるが、戦争という人類の天敵のもとに、人間としての自由を悉く奪われてこれを当たり前と受け取るマインドコントロールされていた。
戦争は人命を殺傷し、文化や国土を破壊するだけではなく、人間の精神を荒廃させる。
軍人は戦争がなければ、無用の長物として社会の尊敬を得られない。戦力はそのまま権力に移行しやすく、軍は権力の維持のために、戦時でなくても常に敵国を想定して緊張を高める。
このようにして、八紘一宇の世界制覇の野望の実行は、人類初の核兵器の洗礼を浴び、三百万の犠牲を払って「永久に戦争を放棄し、戦力および交戦権を否認する」世界初の平和憲法を得たのである。
特に世界でも真っ先に戦争を放棄した9条は、全世界に誇るべきものであり、精神の世界遺産があれば、最も先に登録されるべき日本一国に限られない地球の住人の理念である。
敗戦後七十年に満たずして、人類の天敵、戦争を永久に放棄したはずの憲法が、次々に首をすげ替えられる政治家によって、いとも簡単に改定、あるいは廃棄されようとしている。
特に九六条を国会議員の二分の一以上の賛成をもって改定できるようになれば、永遠を誓ったはずの憲法が、一代の与党の恣意によって、たやすく変えられることになる。
国会の発議の後に国民投票があるといわれるが、国民投票には最小限の必要投票数が決められていない。場合によっては、ごく少数の国民投票によって、発議した与党のおもわく通りに改定されてしまうのである。
改憲の論拠は交戦権の否認にあるが、今日、一国の独善は世界が許さない。全く異なる戦争の構造を、憲法の改定に利用しようとしているのである。
改憲の論拠として、さらに現行憲法はアメリカの押しつけであり、改憲によって初めて日本本来の憲法を取り戻すというが、明治旧憲法から日本国憲法制定に当たって、日本政府は、松本烝治国務相による改正試案をつくったが、これが明治憲法の焼き直しであり、日本が受諾した国際世論を反映したポツダム宣言の趣旨と相反する非民主的な改悪であった。
そこで、日本民主化の基本理念に基づきつくったGHQ草案を日本国会で論議し、修正し、これが日本政府原案となり、一九四六年八月二十四日の衆議院で賛成四百二十一、反対四で可決。同年十月六日、貴族院で修正可決。翌七日、衆院で右の修正案を五名の反対のみで可決されたのである。押しつけられたわけでは決してない。
そもそも民主主義は、思想の自由を許し、民主主義に反対する思想を許す。だが、反対思想は排他的であり、思想の自由を決して許さない。
貴重な犠牲を払い、大量の血を流して獲得した民主主義が反対思想に奪われてしまえば、これを取り戻すために、再び高価な犠牲と長大な時間を支払わなければならない。
民主主義はまことに脆い政治形態であり、反対思想に対してどんなに警戒、慎重に対処しても、過ぎることはない。どんな民主主義国家でも、いったん戦争が始まれば、基本的人権は圧迫、規制される。
これまで自衛官に一人の戦死者も出していない。憲法によって自衛隊が守られ、その自衛隊によって国が守られているのである。
憲法九条が失われれば、敵性国の侵略を受ける前に強権が発動され、国民の基本的人権が奪われ、人間的自由を奪われてしまうことは、すでに経験ずみである。
戦争を体験しないいずれ交代する政治家が憲法、特に九条をいじくることは非常に浅慮であり、危険である。
仮に戦争が勃発したとしても、憲法をいじくり、改定した政治家は決して最前線には行かない。九条の改定、あるいは廃棄により徴兵制が布かれる。かつての日本軍のように、特別少年兵制度により、十四、五歳の少年、そして十九歳の学徒までが戦場に引きずり出された事実を忘れてはならない。
因みに昭和二十年(一九四五)終戦時の平均寿命は、男二十三・九歳、女三十七・五歳とされる。戦争という大量死刑台に乗せられた日本人の寿命である
どんな理屈をつけようと、十四、五歳の少年を最前線に引っぱり出した者は、敵国ではなく、戦場に行かないその場限りのの権力を握った政治家や、戦争指導者であったのである。
憲法は戦争の番人であり、当時とは時代がちがうというのであれば、戦争の構造変化を見つめ直すべきである。
民主主義国家においても、アメリカ元大統領一人の判断によってイラク戦争は始まった。この戦争で米、イラク関係諸国の多数の人命が失われた。元大統領が宣戦しなければ死なずにすんだ命である。もし日本の憲法九条がアメリカにあれば、いかに大統領といえども、一人の判断で戦争は始められない。
日本、ひいては世界の守り神である憲法九条を改めようとする前に、政治家は自分の首がどのくらいつづくかを計るべきであろう。
(早稲田大学新聞2013.5.14)
犠牲払って得た憲法 尊重望む 森村誠一
憲法9条が風前の灯火である。
まず、96条を改め、憲法を改定しやすくした上で、本命である9条を改造、あるいは廃棄しようという作戦である。
軍国主義の下、戦前戦中、基本的人権の悉くを奪われ、失った人間的自由を、戦後、公布・施行された日本国憲法によって取り戻した。
特に戦争を放棄した9条は、世界に誇るべき革新である。いかなる民主主義国家でも、戦争が始まれば基本的人権の制限を受ける。
改憲の論拠は、他国から侵略されて交戦権を持たぬ国がどこにあろうかという点であるが、今日、戦争の構造は異なっている。
戦争の原因である一国の意志を他国に強制することは、世界の反感を集めて不可能である。思想の自由を認める民主主義は、その反対の思想を許す。だが、排他的な反対の思想は思想の自由を許さない。
民主主義はもろい政治形態であり、その反対思想に対して常に警戒し、慎重に対処して過ぎるということはない。人類の天敵・戦争は必ず民主主義を圧迫し、基本的人権を奪う。人類初の核兵器の洗礼を受け、300万の犠牲を払って得た人権保障憲法を、一代の政治家が安易にいじくるべきではない。
朝日新聞(2013.5.14)
憲法九条名言集1|憲法九条名言集2|憲法九条名言集3|憲法九条名言集4
憲法九条名言集5|憲法九条名言集6|憲法九条名言集7|憲法九条名言集8
憲法九条名言集9|憲法九条名言集10|憲法九条名言集11|憲法九条名言集12