2010年度 山村教室開講式 島田荘司先生ご講演 4

いびきがうるさいからではないか、という推理が成り立ちます。患者はやや太り気味だ。首が太ってしまって気道が圧迫されることにより、いびきもかくが、何より呼吸が障害されているのではないか。そうなら眠れなくなるんです。睡眠時無呼吸症候群か、というかたちで、ついに犯人が突き止められるわけです。患者は夜眠れていないから、気を張って仕事をしている勤務中に、失神的な睡眠が訪れていたわけです。

こういうプロセスは、本格ミステリーの犯人特定プロセスとまったく同じです。思索と、推理ですね。法律の世界も同じです。法廷における、事件とその内容の開示。犯行経過の把握、証拠の状況。それらを用い、正確な事件俯瞰によっての、被告の無二の量刑位置の特定です。

本格ミステリーのありようは、このところ、社会によっても大いに必要とされています。二十一世紀が明け、科学はめくるめく進歩しました。病も強力になりましたが、医学も力をつけ、その守備範囲を広げています。科学者たちは、職人芸的に同じ仕事を繰り返すばかりでなく、ミステリーにおける探偵のような、創造的な仕事を今や為しつつあります。推理論理を展開する頭脳や、正確な言葉が要求されているわけです。しかし肝心の小説界の方が、まだなかなかそこまで追いついていません。

ここで、本格ミステリーの歴史について、ちょっとお話致しましょう。日本のミステリーのフィールドで言うと、私や森村先生、その前には松本清張さん、さらに前は江戸川乱歩さん、甲賀三郎さん、もちろん山村正夫さんもいらっしゃいましたが、こういったそれぞれが、どういう位置にいて、どういう仕事を為してきたかを心得ることは、二十一世紀の今、みなさんのような書き手が、どのような作品を要求されているのかを考える上でも、大変重要なことと思います。

探偵小説は、一八四一年にエドガー・アラン・ポーというアメリカの作家がパリを舞台にした『モルグ街の殺人』という小説を書くことからスタートします。これはパリのモルグ街にある、ある石造りの建物の中の一室――窓は釘付けされ、ドアはロックされている――こういう密室の暖炉上部の煙突の中に、逆さに押し込まれた女性の惨殺死体が発見されるという、極めて猟奇的な事件の小説です。この小説の以前も、似たような内容の物語は書かれていましたが、そういう場合、壁を通り抜けてきた怨霊が、怨みの対象である女性を殺し、また壁を抜けて出ていった、という話になるのが常でした。ところがポーのこの小説の場合、様子が全然違っていて、決して高圧的でない警察官たちが登場して、現場の指紋を調べ、微物収集をし、そののち、これらの情報を読者に公平に公開したわけです。

現場証拠類が、警察サイドの特権的な情報として隠されることなく開示されて、読者はこれらの材料を用い、警察官と同様に事態を把握しようと、推理思索をすることができる仕掛けになっていた。そしてついに特定された犯人は、決して幽霊などではなかったわけです。これまでに、そういう小説はなかったわけです。そこで評判が起こり、この小説の後方に追随者の列ができて、新たな文学のジャンルが発生したわけです。

こうした現象説明以外にもっと重要なことがありまして、こうした本格の──こういう名称はまだこの時点ではありませんでしたが──探偵小説は、陪審制裁判に、陪審員として参加する際の、いわば手引書になっていたわけです。ポーがどこまでこれを意識していたかは解りませんが、陪審制裁判がある国においては、本格の探偵小説というものは、ない国において以上に、意味深い小説であったわけです。

もうひとつ重要なことがありまして、スコットランドヤード、ロンドン警視庁というものが、このころにスタートします。それまでの警察というものは、何か重大事件が起これば、職人芸にものを言わせ、勘に頼って前科者などにわたりをつけ、高圧的な尋問や、拷問による自白を強要して、これを証拠として解決していたわけです。スコットランドヤードは、こういう伝統を否定し、自白は偏重せず、科学を用いて犯人を特定するという、新らしい科学の警察を標榜してスタートするわけです。

そしてこの犯人の真偽の吟味、さらに量刑を為す任務は、法廷にあります。この審理や量刑が正しいか否かを、最高権威者である国民が監視するというシステムが、陪審制の裁判です。ポーの『モルグ街の殺人』は、この双方に深く関わるものでした。陪審制裁判という制度自体はもっと以前からありましたが、ポーの『モルグ街の殺人』が出版されたころ、陪審員の裁判がいよいよ成熟し、安定期を迎えるわけです。スコットランドヤードと陪審制裁判、これらは議会制民主主義や選挙制度とともに、アングロサクソンの大発明であり、大きな功績です。

ともあれ、同じアングロサクソンの発明である探偵小説は、陪審員制度を導入したアングロサクソンの国々、そしてその植民地だった国々で次第に広まっていきますが、その背後には、こうした事情がありました。英米では一般市民による刑事事件の推理は、決して傲慢なことでも不謹慎でもなく、市民の必要なたしなみであったわけです。そう考えると、日本だけは例外ですね。職業裁判官による三審制裁判の制度を採ってきた国で、これほどに探偵小説が盛んになったのは日本だけで、これはある意味不思議なことです。と思っていると面白いことに、ここにきて、現状を追いかけるようにして、裁判員制度が日本に導入されてきました。

裁判員制度と陪審員制度とは、まったく違うものなのですけれどもね。陪審制裁判では、ジューリールーム(陪審員室)に裁判官が入ることはできません。日本の裁判員制裁判では、裁判官を中心にして審理の議論が進められますからね、司法試験の上位合格者を囲んでの勉強会についなりがちで、ただ冤罪が発生した場合、その責任を国民も分担するだけ、という結果に陥りやすいとは思います。しかしながら、半歩前進だと評価はしています。

こうしているうち、眼科医でありながら作家でもあったコナン・ドイルのシャーロック・ホームズが、世界的な大ベストセラーになって、ジャンルは固定的になります。さらにアガサ・クリスティという天才的な女流作家も現れ、読者は女性たちにも広がります。そうしてますますの発展を続けていた時、大きな転換期が訪れます。アメリカに現れたヴァン・ダインですね。

美術評論家でもあった彼は、特有の合理的発想をもって、ミステリー小説の傑作が歩留まり高く現れる方法を提案するのです。彼の考えた面白いミステリーの条件とは、事件の舞台は閉鎖空間がよい、怪しげな屋敷内部に限定するとなおよい。そして怪しげな住人たちがその建物内におり、彼らは早い段階で読者にフェアに紹介されるのがよい。名探偵が屋敷に外来するのがよい。屋敷内で探偵が集めた情報は、推理の材料だから読者にもフェアに提示されるのがいい。そして最後に、彼は意外な犯人を指摘するのがいい。殺人は必ず起こるべきであり、展開中に恋愛沙汰、中国魔術などはご法度、つまりは情や、不確かな要素は排し、ロジカルな推理ゲームに徹すべき、と言ったのです。これは、次第に不文律化されてもいきました。

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