2010年度 山村教室開講式 島田荘司先生ご講演 9

森村先生 わたしがみなさんを代表して質問しましょう。新人として賞に応募する場合、本格推理で応募するか、社会派的なもので応募するか、選考委員のタイプによると思いますが、島田さんは今、新人にとって、どちらが有利だと思いますか?

島田先生 うーん、むずかしいご質問ですね。鮎川賞の選考を先日やってきたばかりです。北村薫さん、笠井潔さん、山田正紀さんと私とでやっているのですが、今回は本格ミステリーとして久々の達成であると感じた、とてもよい作品がありました。私が推薦して、首尾よく獲らせることができました。

しかし、北村薫さんはあまり賛成しませんでした。山田さんはまずまず賛成してくださった。笠井さんはたまたまエラリィ・クイーンのもので、トリックが似た作品を読んだばかりなので、あまり評価はできないというふうなことでした。鮎川賞を見る限りでも、本格ガチガチのものが有利だとは言えないように思います。

その時に議論になったのですが、もう一作、本格ミステリーとしては弱いが、ニュージーランドの女子寮内部で起こる殺人事件を描いたもの候補作にあり、女性たちの様子がなかなかうまく描かれていて、文章も上手な箇所が随所にある小説がありました。北村さん、山田さんがこの作を強く推しました。

しかし私の目からはこれは、まず本格ミステリーとしての達成が、極めて不充分なものでした。密室が出てきます。ドアがロックされているのですが、ドアと床を一本の蝋燭が突っかえ変え棒になって支えている。これでは蹴飛ばせば開いてしまうでしょう。

室内の床に、灰にまみれたシーツを被って横たわる人がいるのですが、周囲を歩き廻る人たちが何故かこれに気づかない。教誨室の地下に石造りの床があり、そこに死体を埋め、また床の石を戻して隠すという犯罪が語られるのですが、これを女性が一人で、ひと晩でやるという。床石はうまく填め戻っているのか、いったん床に置かれただろう土の痕跡は、見つからなかったのか。

出た土はどこへ運んだのか、その方法は、そこまでの距離は。そこにいきなり現れた土は、みなに不審がられなかったのか。こういう細部にまできちんと目を届かせることが、本格ミステリー書きの技量というものですね。そしてこれらを上手に隠蔽処理しようという発想が、小さな鋭いミステリーを、周辺に作り出しもします。

切り裂かれた死体が密室内に現れるのですが、犯人が女性で、昔レイプされたことがあり、妊娠能力を失っている。その怨念が犯罪の動機になっていると説明されますが、妊娠能力が失われるのだとしたらどんな事件なのか、能力喪失のメカニズムはどうなっているのか、もう少し医学的な肉付けが欲しいと思いました。怨念が無関係な仲間の女性に向くというのも、あってもいいのですが、構造が簡単にすぎ、ストーリーの作り込みが不足していると感じました。

結局この作の趣向は、女子寮の密室、切り裂きジャックふうの死体、往年の怨念を引く動機、教誨室の床下の死体、そうした定型的なピースが収集されていて、これらで本格寄りのミステリーはかたちを成すであろう式の、おざなりな網羅発想が感じられました。よいところもありましたが、この人は、この作では受賞しない方がよいのでは、と私は感じました。

でもこの作者は、今まさにこの作品で、世に出ようとしているわけです。今この作が北村さん、山田さんという支持者を得ているのは、作品の運でもあると思います。もしも私が今から強く受賞に反対したなら、私はこの人が世に出るのを妨害することになります。そういうことをするのは主義に反すると思い、だからどうぞと言い、二作同時受賞となりました。

この時に二人が言ったことは、鮎川賞も広義のミステリーの賞だ、決して本格ミステリーの賞だとは詠っていない、ということです。鮎川賞は、私が一人選者をやっている「福山ミステリー文学新人賞」ができるまでは、最も本格ミステリーに近い賞だと思っていましたが、今鮎川賞も広義のミステリーの賞だと、選考委員各氏は理解しています。

だから鮎川賞も、本格ミステリーが有利だとは言い切れないと思います。そうなら、まして乱歩賞など他の有名賞は、さらにそうだと思います。すべて広義のミステリーだと思いますから、社会派もOK、もしかするとより有利かもしれませんね。本格の良さはなかなか理解されないです。まあ選考委員の顔ぶれにもよるでしょうが。

福ミスは私一人が選者をやりますから、ここはあきらかに本格ミステリーが有利ですね。よい本格が候補作にない場合、旅情ミステリーや社会派にも受賞の可能性があると言っていますが、私としては狭義の本格を第一に求めています。これがない場合、という順番です。どの賞もみんな広義のミステリーにはならない方がいいと思いますので。本格発想が、作家の寿命を延ばすんです。

でもつまらない本格、つまり定型に大きくよりかかっていたり、網羅発想に終始して、体裁を本格ふうに整えただけといった代物ならば、これは読みごたえのある硬派の社会派や、気持ちのよい旅情ミステリーを、私も採りますね。

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