2010年度 山村教室開講式 島田荘司先生ご講演 5

カーもエラリィ・クイーンも、ヴァン・ダインのこの提案からの影響は否定していますが、日本人の考える英語圏の最高傑作、『Yの悲劇』などは、典型的なゴシックロマンであり、傍目からはこの提案をよく受け入れて、完成度を上げているように見えます。かくして歩留まり高く傑作は現れ続け、黄金時代は速やかに築かれます。

舞台や材料を限定し、ゲームのシナリオを競い合う。だからアイススケートの採点のように、ベストテンの選出が可能になってくるわけです。だって同じリンクの中、基本的に同じ技術を持った者同士が闘っているのですからね。新しい技、ウルトラCを考案したら、その新技は採点上有利、高得点を呼びますが、失敗の危険もまた上がります。アイススケートの演技と同じですね。こんなふうにして、ヴァン・ダイン以降、ベストテンという遊びも流行していくわけです。

ところがミステリー小説のブームは、黄金期が築かれると同時に、その直後から衰退の道をたどりはじめるわけです。理由は大きくふたつありますね。ひとつはハリウッドの台頭です。ヴァン・ダインの提案、怪しげな館内の住人間で殺人事件が起こり続けるのは、それほど映像的ではないですね。ヴァン・ダインの提案に沿って、いつまでもこれを続けていれば、そう遠くないうちに飽きられてしまう。

スクリーンになじむのは、もっと破天荒な視覚的な出来事の方がいい。映像は視覚が勝負なのですから。観たこともない、とてつもない怪現象が起こり、それは幽霊がやりました、でいい。その方が迫力があるし、映像の技術が存分に使えます。だから、レイモンド・チャンドラー型の、格好いい私立探偵が体力で難事件を解決するというハードボイルドの方が、アメリカ映画には好まれました。アメリカ西海岸というのは、風景が大変美しいところです。こういう海べりの街や海岸を、最新の欧州産のスポーツカーを駆って巡って歩く私立探偵、大金持ちたちの邸宅のプールサイドを、ハリウッドを目指して闊歩する水着姿の美女たち、緻密な推理の頭脳よりも、剃刀パンチが得意のタフガイたち、そうした道具立ての方が、ヴァン・ダインのものよりもずっと映像向きだったわけです。だから次第に、こちらが勝利していくわけですね。

もうひとつの問題点は、ヴァン・ダインの提案、それ自体の内部にありました。彼の提案は、傑作を歩留まり高く出現させるためにはきわめて有効でしたが、結果として、使用する材料を大きく制限してしまったわけです。あれは駄目、これは駄目とやったわけですね。限られた材料しか使えないのであれば、それを最初に使えた作家たちの黄金期の傑作群を、後続者たちは越えにくくなります。だから黄金期達成の翌日から、たちまち終焉の下り坂が始まってしまったわけです。ここには教訓がありますね。

さて、日本に目を移しますと、日本の探偵小説は、大正デモクラシー下の東京の自由な空気のもとで発生します。この空気は解放的、非高圧的で、なかなかアメリカ的ともいえました。この時代の空気を吸って、いうなれば高等遊民の遊戯のようにして、江戸川乱歩さんの『二銭銅貨』という傑作短編が現れます。それ以前にも乱歩さんには『火縄銃』などがありますが、実質上、この『二銭銅貨』からジャンルはスタートします。「二銭銅貨」が大きく読者をひきつけ、追随者を生んで、日本のこの文芸は始まりました。

続く乱歩さんの初期の傑作群、『心理試験』、『石榴』、『月と手袋』などは、ポーやコナン・ドイルの影響を直接的に受けた、極めて理知的な、恐怖と論理性が同居した趣向を持ちます。ミステリー現象と、それを解決するための推理論理とが合体した構造、これこそは本格ミステリーで、乱歩さんはその先駆けとなっていますね。当時の日本人たちに、そうした意識はありませんでしたが、ポー、ドイルがもくろんだのは、まさにそういう物語でした。乱歩さんはこれを正確に理解していました。しかし乱歩さんは、次第に煮詰まっていきます。これだけでは書けなくなっていく。黎明期の作家の宿命ですね、参考にできる先行作品が少ないわけです。

新興のジャンルを安定的にするためには、もっと多くの作品を書かなくてはならないし、もっと大量の読者を全国的に獲得しなければいけない、そう彼も考えたでしょうし、出版社も考えたでしょう。ポー、ドイル流の論理志向、理知的な学問志向よりも、確実に読者を集められる通俗的の趣向が、日本の場合は、常に傍らにあるんです。被抑圧が続き、自身の尊厳を喪失した日本人ですから、読者が喜ぶツボというものが、時代時代、常にあります。今日もあります。純文世界にもあります。そして書き手を常に誘惑します。その方法を採れば、苦労して論理的なものを書くより、ずっと簡単な営為で、ずっと多くの読者を集められるのです。

これはおそらくは、言語の構造にも関係している。日本語は、英語ほどすっきりと論理的、数学的にはできていないのです。またホームズ型、あるいはマーロー型のスーパーヒーローに対する敬意が、知的層や成熟層からは得られにくい。だからこういう人物を描くことが、日本人作家は得意ではありません。こうした筆は、みるみる子供のものに堕してしまう。乱歩さんが何をやったかというと、江戸時代風味の見世物小屋趣味を、ジャンルに持ち込むわけです。江戸川乱歩という名前には「江戸」という文字が入っていますが、これはなかなか暗示的なことです。

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