2010年度 山村教室開講式 島田荘司先生ご講演 7

清張さんは、もともとはこうした方向の文学と、時代小説とを志向していました。しかし七人もの扶養家族を支えなくてはならないという家庭内の事情から、なんとしても売れるものを描かなくてはならなかった。そこで彼は、本が買われやすい探偵小説の世界に、他家の庭に踏み込むようなかたちで、書きはじめるんです。しかしこの創作においても彼は、自然主義の手法を自身の作中に採り入れるわけです。

あるいは、もともとの好みを捨てきれなかったわけです。もしも彼が懐豊かな新人であったなら、間違いなく自然主義の文学と、時代小説とを書いていたでしょう。こうした事情により、彼はまったく新たな性格の探偵小説を、日本に誕生させることになります。そう考える時、近代自然主義という作風には、名探偵という職業人はちょっと奇妙ですね、子供っぽく映る。人間とは、決してそんな恰好よいものではない、みじめな失敗も多くするし、下品な欲求も多々持っています。スーパーヒーローなんて、嘘をついた作りもでしかない。

物語の前段に伏線を撒いておくといった手法も、人工的な発想であり、自然主義の感性からするなら、自然ではないですね。大がかりな物理トリックも、現実的とは到底言えません。人を一人殺すのに、自宅に大がかりな工事をするなんて犯人、世界中のどこにもいませんから。

また動機も、ごく一般的なもの――色、金、出生、汚職――そういったリアルなものが選ばれます。これが自然主義のセンスというものです。事実清張さんの小説には、警察官以外は登場せず、積極的な伏線の発想はなく、大がかりなトリックもなくて、人間の色と欲が、物語の主軸となります。

そういう清張さんの小説は、現れるやいなや、時代の要請に見事に合致して、大当たりするわけですね。とてつもないベストセラーになっていく。当時の日本は、高度経済成長下をすごしていて、大変に息苦しい、抑圧の空気が列島を覆っていました。大衆は従順で無言の歯車を要求され、禁止罰則の空気の中でうごめいていた。そしてその中、許されるぎりぎりの、あまり上品とは言えない強い欲望を内に抱えるにいたっていた。それがまさしく色、金、出世というものでした。

清張さんの小説群はよく「社会派」と呼ばれますが、それは結果としてであって、自然主義手法を採ったがために、結果として作が社会に近づき、時代と社会を活写してしまったわけです。彼の作風は、社会派という以前に、「自然主義探偵小説」とでも呼ぶ方が、由来や構造をよく説明すると私は考えています。

清張さんの小説が非常に当たり、主流派としての大部数を維持したまま、ジャンルは文学に急接近したわけですから、探偵小説は進歩向上、あるいは成長を果たした感覚になり、探偵小説が、文芸畑から大きく軽蔑されるということが、次第になくなっていきます。これは長い間軽視に堪えていたジャンルの関係者を、大いに喜ばせます。そこで清張さんは、探偵小説の地位を大きく引き上げた大恩人ということになって、そういう評価が文壇で定着していくわけです。

先ほどお話しした甲賀三郎さんですが、この人は「本格」、「変格」の語を発明しただけでなく、のちに「推理小説」という言葉も発明しています。これも文壇に大いに好まれ、よく使われるようになって定着するのですが、それはこの清張さんという存在によってなのですね。

清張さんの持ち込んだ作風に、この言葉の目新しさと、理知的な響きがよく合致したのですね。加えて文壇が、乱歩さん時代の悪しきイメージを彷彿とさせる「探偵小説」という言葉を、激しく嫌悪し、捨てたがっていたためです。だから代わる言葉を探していた。文壇はこの「推理小説」という新語に飛びつきます。そして感謝の意味を込めて、またある種の称号として、清張さんの作品群に捧げるようになります。

この「推理小説」という語には、もともと「理知的な」という意味合いはあったわけです。通俗性を排し、推理論理が主眼の小説だ、という一種の宣言ですから。だからこの語の上に、さらに「本格」という言葉を冠するのは甲賀さんは意図していなかったことなのですが、清張さんの亜流がおびただしく出現する中、この語も出版社によって営業上の飾り文句として多用されるので、時代が下れば、無数の「推理小説」の中で、本物はこれだという感じで、「本格推理小説」という言葉も現れてきます。そして時代の経過の中で、不自然感が薄れていきます。

こうして清張さんの時代が大きく花開くのですが、するとここにもまた、乱歩さん時代とはまた別種の、弊害も出てくるようになりました。探偵小説は、進歩向上を果たしてしまったわけですから、もしもまた乱歩さんのような通俗作風が文壇に現れてきては、悪しき時代に逆行してしまうという警戒感、ほとんど恐怖感ですね。長い被軽蔑の時代をすごしてきた推理文壇ですから、この思いはとても強いもので、さながら文壇全体が警察になってしまったかのようでした。

これがいわゆる「清張の呪縛」といった社会現象です。作風が大きく制限されていく。名探偵ものや、大きなトリックものなどは書けなくなっていきます。何より高度な推理論理が追放気味となり、本格としての理知性、高度な論理思考が文壇から消えていきます。そうしたものは、清張流の大人の文体だけで充分だ、と言うわけです。そして乱歩さん時代の流儀を多少なりとも引きずる作家たちは、文壇追放にも似たかたちで退場を余儀なくされます。ここで反省すべきは、乱歩さん流の通俗作家ばかりでなく、理知的、論理的な、すなわち本格の「名探偵もの」を書いていた作家たちも、問答無用に作品発表の場を制限されたことです。

これは明らかな勇み足でした。清張の呪縛は、乱歩流儀ばかりでなく、多数派といった政治意識を背景にして、私立探偵もまた、無思慮、無根拠に追放したのです。ここには定型によりかかって子供っぽいものを書いているから、というかすかに理屈めいたものは存在していましたが、そうでない作風も、実は多く存在していました。進歩向上は、返す刀で文壇に本格の暗黒時代を作り出します。これは横暴というばかりでなく、日本人に特有の弱さであり、幼児性に近いことでした。

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