2010年度 山村教室開講式 島田荘司先生ご講演 6

日本の探偵小説は、明治から大正期。そして大正デモクラシーの一時的な自由の空気の中で花開くのですが、しかしこの頃の大衆の意識というものは、実はまだまだ、江戸時代の感性が大いに引きずられていたわけです。というよりも、侍を除く江戸の市民は、実は自由闊達な空気の中で生きていたわけです。洒落もよく解する、アメリカ流の、なかなか進歩的な人種であったわけですね。

都市の文法として、徳川幕府は、江戸の町中、吉原とか鈴が森、遊郭や岡場所の近くに刑場を設けます。そして刑死者の晒し首をそこに置いて、遊びに通う男たちに恐怖の威嚇を仕掛け、享楽発想にブレーキをかけようともくろみました。刑場で斬首があれば、そのそばに晒し台というものを毎回新調し、刎ねた重罪人の頭部をその上に三日間置いて、遊郭通いの男たちを威嚇しました。享楽主義に走らせないように計算したのです。そしてこれは、一定量の成果を上げていた。

しかし結果としてそこで培われた江戸人の感性というものは、為政者のもくろむ控え目心の成就とばかりはいかなかった。「宵越しの金は持たない」式の刹那主義や、ホラー趣味ですね。「怖いもの見たさ」の怪談趣味が、実は水面下で大きく育っていくわけです。これは、特筆すべき江戸人の特徴です。死の恐怖、死体の変化、つまり死体現象。またグロテスクなその外観への恐れが、期せずしてエンターテインメント化してしまう。ろくろ首とか、「親の因果が子に報い」といった、例の口上による見世物小屋の出し物につながるような日本人のあの感性が、幕府のこの威嚇主義によって、裏面に育つわけですね。

東京大学の標本室には、江戸期の見世物小屋に、見世物として出演させられていた奇形の人物の頭の骨が保存されています。小頭症の人です。体中にくまなく入れ墨を施した人物の全身の皮膚も、保存されています。そういうものを見たいというそかな欲求は、実は大正期になっても、大衆の感性の水面下でしっかりと継続していました。よってこうした見世物小屋の興行は、大正期に入っても、昭和の時代に下っても、実はよく当たっていました。

でもさすがに大正期にいたれば、奇形などの見世物小屋、とは銘打てません。だから「衛生博覧会」というもっともらしい名称に変わります。これは大衆に衛生の観念を啓蒙するため、感染症などによる病変死体等を民に見学させる、ということを名目上の建て前としたものです。しかし実のところ大衆は、江戸時代そのままの怖いもの見たさで、料金を払って病変死体の実物や模型を見物にいったわけです。

乱歩さんは、こういうおどろおどろしい趣向を自作に採り入れたのですが、この計算は、もくろみ通りに当たりました。本はよく売れ、乱歩ブームが起こります。そして以来、恐ろしいもの、おどろおどろしい風景をページ上に開陳する競争が起こっていき、探偵小説は部数の上では文壇の主流になっていくのですが、多くの知的階層、文学肌の人たちからは軽蔑されはじめて、一段低く見られるようになるわけです。

そうした時代に甲賀三郎という作家が現れて、乱歩さんのような小説は日本に独特であり、一種の異端なので、「変格」と称したグループにくくるのがよいのではないか、という提案をします。これが決して探偵小説の主流ではないのだ、という主張ですね。欧米流の探偵小説は、ヴァン・ダイン、コナン・ドイル、アガサ・クリスティのような、推理論理を主軸とする理知的なものなのだということ。そこでこういう保守本道の小説群は、「本格」と称して、乱歩流からは区別しておいた方がいいのではないか、とする考え方を公にします。

ここから「本格」の探偵小説と、「変格」の探偵小説という区別意識が生じます。しかし「変格」という呼び名は次第にすたれて、「本格」という言葉ばかりが残っていきます。けれども甲賀さんは、名称は考案しますが、「本格」とはどういう小説のことか、定義とか、条件づけを細かくは語って遺さなかったので、ジャンルにだんだん混乱も生じます。

これはこの直後、探偵小説は芸術たり得るか、といった論争がジャンルに起こってしまって、創作上の論議はそちらに大きく向かってしまうからなのですが、「本格」の用語には、出版社の商売上の思惑も絡んで、呼称の混乱はその後どんどん大きくなります。ともあれ江戸川乱歩さんがスタートさせ、育て、性格を決定づけもした日本流の探偵小説というものですが、その後どんどん発展して出版社の経営を支えるようになり、そうなると文芸畑からの軽蔑もまた果てしなく深まっていって、拭いがたいところまで進行してしまいます。戦前、乱歩さんの小説は、カヴァーをかけないと電車の中などでは恥ずかしくて読めなかったそうです。そこまで行ってしまった。そして戦後になり、現れてきたのが軍隊経験もある、松本清張さんなのですね。

この人が何をしたかというと、田山花袋さんの作風を引く、近代自然主義文学の手法を探偵小説に持ち込んだ、ということです。これに尽きると言ってもいいでしょう。清張さんの作品には、『蒲団』の主人公の先生の分身のような人物が、たびたび登場します。松本清張さんは、そのスタート時点から、明らかな文学体質を持っていました。当時の文学体質とは、すなわちこうした近代自然主義文学の体質です。日本の自然主義は、田山花袋氏の傑作、『蒲団』という作品からスタートし、人間の弱さ、生きることの辛さ、生活の苦しみなどを率直に、あるがままに描いて進むわけです。

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