2010年度 山村教室開講式 島田荘司先生×森村誠一先生ご対談 6

今全集を作っていますが、初期のもののゲラが来れば、直すところだらけです。この時期はホテルに缶詰になって書き飛ばしたということもありますが、全然駄目です。

でも、最近の十年ぐらいに書いたものは、直すところがほとんどないです。文章は生き物ですから、追い込んで追い込んで、もう直すところがないというところまで追い込んでいく。澱みなく流れ、そして各場所、各場所で読み手が退屈しないような言い廻しの変化もある。文章には必ずそういう終点があります。そういう文章ならば、百年だってもちます。 けれど完成したそれに、「そして、」という一語を入れれば、全体がさあっと変化していきます。句点、読点の位置を考え直すような作業が、また一から始まります。

勝新太郎という人が、かつてこんなことを言いました。「セリフをもらったら、オレは三味線に載せて歌ってみるんだ、そうすると流れが解る」。田中康夫さんという人も、「書き終わったら、声を出して読んでみる、そうすると完成度が解る」と言いました。これはある程度、同感しますね。

私の場合は速読ですね。さーっと読めるような文章になっていること。淀みなく流れ、各場所で退屈しない、適当に刺激があるということ。文章には必ずそういう終点があるのです。文章はとても怖いです。すなわち、文章を磨くというのはどういうことなのか、自分は何をしようとしているのか。この小説はどういう意図を持っていて、この小説によって何をしようとしているのか、という俯瞰的な目を持つことも大事ですね。そうすると、効率のよい磨き方というのもできると思います。

ともかく、一年かかったと思ったのですが、実は十年の道のりだったわけです。それほどのものなら、これは毎日書かないと駄目ですね。一週間とかひと月休めば、経験が少ない新人の頃なら、また一から出直しです。そんなことを繰り返せば、とても時間がかかってしまいます。毎日書けば、着実な向上が続き、達成までが短い時間ですみます。

これは朝から晩まで書けという意味ではないんです。書かない日があると、新人のうちは頭がすぐに戻ってしまう。だから一行でもいいんです。それでカンは持続します。 でもできれば五枚とか十枚とか決めて、毎日書くことです。そうすると、自分の繰り返しの癖が解ったり、類型に寄りかかった表現が追放されていきます。こういうことは、頻度高くチェックしていないと解らない。そうしていれば、効率よくそれが解るようになります。ですから、最初は毎日書くということです。これがまずひとつ、お願いしておきたい事柄でしょうか。

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