2010年度 山村教室開講式 島田荘司先生×森村誠一先生ご対談 10

そろそろ時間がラストステージに入っていますので、質問をしてください。質問は、よい質問をしてください。長ったらしくなく、単なるノウハウでなく、根幹をえぐるような、島田先生やわたしのようなプロの作家の魂をえぐるような質問をしてもらいたい。そういわれてビビらないで、作家魂を見せるような気持ちで、是非お願いいたします。

――では、質問のある方は、挙手をお願いいたします。

――はい。島田先生の「御手洗シリーズ」で、石岡というワトソン的な人物が出てきまして、ミスリーディングさせるような行為をすると思うのですが(『暗闇坂の人喰いの木』では「木に喰われたのだ」というような発言をするとか)、で、ミステリーに目の肥えた読者だと、ミスリーディングを察知するかと思うのですが、その裏の裏を、わざとかくようなことは、あるのでしょうか?

島田先生 それは伺っておきますとしか言えないな。大変意味深い考え方だと思います。これから挑戦しようかと思います。御手洗・石岡に関して言えば、ある種、弥次喜多的、ホームズとワトソン的に、石岡君はそれほど優れたことを言わないだろうなと、こちら自身思っていたかもしれませんね。石岡君が何気にああ言ったが、実はアクシデンタリーに真相を貫いていた、というようなありようですよね。なるほど、解りました。その発想はいいと思います。そういうことはやっていませんでした。

――では、次の質問を、お願いします。

――はい。本日、ミステリーのトリックに関する話が多かったと思いますが、トリック以外の面で、本格ミステリーを書く上で意識されていらっしゃること、例えば、キャラクターを作るなどという点で、気をつけていらっしゃることはありますでしょうか?

島田先生 キャラクターに関しては、あまり意識していませんでしたね。私は御手洗のような人が好きで、最初から見えていたのですね。彼ら、どこからやってきた人なのかと言いますと、すでにあちこちで書いたような気もしますが、例えばホームズが好きであったこと、初期のジョン・レノンの言動とかもね……、あと、ジョージ・C・スコットという役者が出演している『恋とペテンと青空と』、というアメリカ映画があるのですが、これはもうどこのツタヤを探してもありませんが、こうした好きな映画などからの影響もあります。

ミステリー映画としては『スルース』という傑作がありますが、これの内部の様子とか。これらをミックスアップして、御手洗潔という人が現れたのだろうと思います。石岡っていう人も、最初に書いた時から、徐々に決まっていったキャラクターだと思います。しかし、これらは後から考えたことであって、書いていたまさにその時の気分は、もう解りませんね。

私の主な思考は、トリックや構造体、驚きの装置の設計の方に必死でしたから。キャラクターを作ることに、それほど興味がないという作家もいると思います。欧米にもいますが、ヴァン・ダインの生み出したファイロ・ヴァンスは、生真面目なばかりで魅力が乏しいとも言われます。私は特にそうは思わないが、まぁ、そうなのかもしれません。おそらくヴァン・ダイン自身も、そこまで頭が行っていなかったのでしょう。

私自身も、キャラクターの性格まで意図したり、計算していたかと問われると、はてどうでしょうか……。計算して作り出したとは言えないところがあります。御手洗潔に関しては、ああいう気持ちの余裕とか、他人に対して胸を開くとか、冗談を楽しもうとするような性質が、私の内にも総合的にあったのだと思う。

ホームズなんていう人、今読んでも、とても新しいですよね。あれを計算して作ったとは、とても思えない。あの辛口と軽口、軽妙な皮肉というのは、コナン・ドイルが根っから持っていたものなのだろうと想像します。

今のご質問に答えるならば、驚きを作り出す設計装置が、当を得たものであり、充分に高度なものであれば、キャラクターは自然にそこから導かれてくるように思うのです。そういう気分がしますね。

吉敷竹史という人物に関しては、犯罪捜査に心底生真面目で、それ以外の事柄に関してはあまり趣味がない。無趣味。そういう人だと必然的に、一人の女性をずっと思い続けるような人柄になっていきますね。

一方御手洗のような人は、逆に趣味だらけで、犯罪捜査もひとつの趣味。感性があまりに鋭くなってきていて、だから女性らしい……、というかある種の女性たちによく見受けられる負の感情――損得勘定、勝ち負け発想に特化していき、見栄、自慢、威張り心に結実する、などというありように関して――反応が相当に冷たくなっていく。もちろん私自身は決してそうではなく、女性を尊敬しておりますけれどもね。ともあれ、こういったことはすべて計算した上での表現ではないのです。それまでの好みや、人生で出遭ったさまざまな出来事への分析や、蓄積による反応、反射だと思いますね。

しかしこれは、私の場合がそうだったというだけであって、キャラクターというのは、本格の構造とは別の要素です。カードボードと呼ばれる、あえて人形のような人たちを歩き廻らせることにより、本格の傑作が現れる場合もあるのです。事態は簡単ではありません。ですから、本格とは別の要素、本格装置の設計の高度さとは別のところに、キャラクターというものは存在すると思います。

女性の読み手は、キャラクターが好きなことが多いですね。ホモセクシャルなキャラクターも大好きだったりする。そういうような方向から、計算して書いていくこともできないではないが……、これは、アプローチが違いますね。キャラクター描きが好きで、そこから作を本格に近づけていく、というようなやり方もあっていいかもしれません。でも本格というものは、おうおうにして芯から、あるいは設計図、骨組みの方から作っていく方が、いいものができやすいし、ヴァリエーションもつけやすいんです。そして、生命も長く続くのですね。

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