2010年度 山村教室開講式 島田荘司先生×森村誠一先生ご対談 7

森村先生 今日の島田先生の言葉の中で、みなさんのハートに引っかかったことがいくつかあると思います。そういうキーワードをメモしておいてくださいね。人間は全部の言葉を覚えきれませんから、キーワードをメモしておいて、自分の執筆生活や、人生に役立ててもらいたいと思います。わたしはキーワードとして感心したのは、背骨です。骨が多い方が本格度が高いという話でしたね。波乱万丈の小説というものは、骨が多いですよ。そして最後のどんでん返しなども何度もある。こういう作品は収束がむずかしくなるのです。

ミステリーには、殺人が多いですが、なぜ殺人を扱うのか? 別に殺人はなくてもいい、謎があればいいのだという話もありましたね。今のところ、ミステリーの謎の王者といえば、殺人なのですが、これは何故かというと、殺人はどの時代に置いても最悪な犯罪とされるから、犯人が自分を守って、探偵との間に必死の攻防が起こるわけですね。これが面白い。

いかに探偵が犯人の築いたバリケードを壊していくかというプロセスですね。さらにミスディレクションです。レッドへリングといういい方もしますね。例えば、大統領とホームレスが同じ場所で同時に殺されたとします。誰でも大統領暗殺を疑いますが、犯人の本命目的は実はホームレスで、大統領は巻き添えを食ったというような設定がミスディレクションですね。

結局、謎の中核にあるのは殺人事件です。詐欺横領などもなど面白いケースがありますが、捕まった場合になかなか死刑にならない。殺人の場合は、死刑が適応されることも多いです。だから、犯人も必死なのです。以前にある作家が、天国で殺人事件を行ったらどうなるだろうか、という作品を書いた。天国にいる人はみな死んでいるから、じゃあ生かすのです。

『天国の活人』という作品だったかな。天国でよくないことをやるのです。生かすというのはわれわれの常識ではいいことなのですね。犯人が捕まっても罰せられるどころか、表彰されたりする。例えば、三億円の寄付者を突きとめても、表彰されても、罰せられるということはない。そうすると、推理小説につきもののサスペンスというものがまったくなくなってしまうのです。

殺人というものは、推理小説を構成する装置と考えていい。装置として、殺人事件は解りやすくて、犯人と探偵の攻防が熾烈になります。そのことを今日、島田先生がずっと仰っていた。だから、非民主主義社会や独裁国家では、容疑者らしき人を捕まえて、石でも抱かせて、自供させれば一件落着ですから、推理小説は発展していかない。

日本も軍国主義時代は、推理小説は弾圧されました。せいぜい生き残っていたのが捕り物帖ですね。民主主義のインデックスになるのがミステリー、特に本格推理ですね。絶対不可能な場所、不可能な時間の壁というバリアを作って、その中で犯罪が行われ、不可能興味が濃ければ濃いほど面白いのですね。最後に、どう考えても不可能な密室の中で殺人事件が行われ、あるいはアリバイトリックがあるのに、鮮やかに解決される。不可能に対する興味が高ければ高いほど面白くなりますが、書き手は大変苦労します。

だいたい、本格ミステリーは段々濃度が薄くなっていくのです。そういう中で、島田さんは非常に高い一定の濃度を維持して、一連の作品を発表しているのです。その秘訣というか、根底にあるものは何でしょうね?

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